バチカンから見た世界(123) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

この宗教国家であるバチカンの外交最高責任者と、無神論国家のソ連最高政治指導者との初の会談から1年後の1989年12月1日、自国内で「ペレストロイカ」(改革)や「グラスノスチ」(情報公開)と呼ばれる改革を推進し、「欧州共通の家」(東西の壁の克服)を外交政策の基盤とするゴルバチョフ議長がバチカンにやってきた。

教皇の故国ポーランドでは、レフ・ワレサ委員長率いる自主管理労組「連帯」が自由を求めて蜂起し、1カ月前にベルリンの壁が崩壊していた。教皇は、「ウラル山脈(ソ連領)から大西洋にまたがる欧州の基盤はキリスト教」「東西欧州は二つの肺(肺は二つあって正常に機能する)」といった、新欧州構築へ向けての宗教的、地政学的な理念を説いていた。

長かった冷戦の終焉(しゅうえん)を決定的なものとし、新しい世界秩序の構築へ向けての道を開いた、両指導者のバチカンでの会見。ゴルバチョフ議長は同伴したライサ夫人に、「ライサよ、この人が世界で最高の道徳権威者なのだ。でも、この人はわれわれと同じスラブ人なのだ」と教皇を紹介したという。ライサ夫人は当時、深紅のスーツを着ていた。バチカンのプロトコール(儀礼)によれば、教皇との謁見(えっけん)では男女共にダーク・スーツの着用が慣習とされていた。だが、歴史的な会見であっただけに、夫人の真っ赤なスーツがかえって新鮮に映った。

抑圧する側のソ連と抑圧される側のポーランドで育った2人の指導者は、約1時間にわたり懇談した。「議長の始められた改革(ペレストロイカ)の行方を、強い関心を持って見守っている」と語りかける教皇に、「今日の私たちの出会いが、東欧にうねる大きな変革によって可能となった」と応えたゴルバチョフ議長。「ソ連領土内のキリスト教徒、イスラーム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒およびその他の宗教の信徒たちは、それを信仰する権利を有する」と主張する議長は、「良心の自由法の成立が間近」で、「ソ連領土内のカトリック教会が法的にも認可される」と教皇に報告した。

さらに、教皇をモスクワに招待する意向を表明したソ連最高会議議長は、懇談後、教皇と共に「両国間における外交関係樹立の細部に関しては、これから外交レベルで検討していく」との合同声明文を公表。世界史に新しいページを書き加えたローマ教皇との会見を終えたゴルバチョフ議長が、カザローリ枢機卿に近づき、つぶやいた。「モスクワで約束し合ったことが実現しましたね」と。

旧ソ連最後の最高政治指導者であるゴルバチョフ議長の訃報を受け、ローマ教皇フランシスコは8月31日、ゴルバチョフ議長の「諸国民間における調和と友愛へ向けての長期的展望に立った努力と、同国における重要なる変革期間を通しての進歩」について「感謝の心」で追憶する弔電を、令嬢のイリーナ氏宛てに送った。