バチカンから見た世界(104) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
「アブラハム」を信じて――教皇のイラク訪問
『旧約聖書』の創世記に、「アブラハム」という人物が登場する。チグリス川とユーフラテス川が合流する地点に栄えた都市ウル(現・イラク)で生まれ、唯一の神から「あなたの故郷、親族、父の家を捨て、私が示す地(約束の地・カナン=現在のパレスチナ、イスラエルを中心とする地域)に向けて旅立て」というお告げを受け、神からの言葉のみを頼りに、見知らぬ土地へと向かった人物だ。
唯一の神とは、現在のユダヤ教、キリスト教、イスラームに共通する神のことだ。神からアブラハムは、「あなた(の子孫)を偉大な民とし、あなたを祝福し(中略)あなたによって地上の全家族(人類)が祝福されるだろう」と約束される。
ローマ教皇フランシスコは、3月5日から8日までイラクを訪問した。教皇はテロが頻発し、現在は新型コロナウイルスの感染が拡大するイラクへの訪問を、なぜこれほどまでに切望したのか――その真意を知るには、アブラハムとは誰であったのかを理解することなしには不可能だろう。
教皇は出発の前日、イラク国民に向けたビデオメッセージを公表している。この中で教皇は、友愛を求める平和の巡礼者としてイラクを訪問すると明かした。ムスリム(イスラーム教徒)、ユダヤ教徒、キリスト教徒を「一つの家族」として結びつける「祖師アブラハム」の印のうちに、他の諸宗教の兄弟姉妹たちとも共に祈り、共に歩みたいと願っている」と述べた。
また、「イスラーム国」(IS)を名乗る過激派組織(イスラーム・スンニ派を主張)から迫害を受けた同国のキリスト教徒たちに対して、「蔓延(まんえん)する悪に屈することがないように。あなたたちの土地が生んだ古代叡智(えいち)の源泉(世界最古のメソポタミア文明)や、アブラハムのように、全てを捨てながらも希望を失うことなく、神を信じて、天空の星のように無数の子孫を残していった道を(同国のキリスト教徒たちが)歩むように願っている。親愛なる兄弟姉妹たちよ、天空の星を仰ごう。あそこに、私たちの約束の地(カナン)がある」と語りかけた。
さらに、「多大な苦しみに耐えてきたイラクのキリスト教徒、ムスリム(シーア派の信徒)、ヤジディ教徒、そして全ての国民が兄弟姉妹である」と強調。同ウイルスの世界的な流行という困難に直面する今こそ、友愛の促進、国民間の和解が大切であると訴え、「平和な未来を共に構築していくために助け合っていこう。あなたたちの土地では、数千年前、アブラハムが(約束の地・カナンに向けて)歩み始めた。今度は、私たちが、その平和への道程を共にたどる時だ」と訴えた。