バチカンから見た世界(89) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
「攻撃目的の武器を手にしたまま、愛することはできません」(1965年の教皇パウロ六世の国連演説)と主張する教皇フランシスコは、「紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか」と問い掛け、「この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように」と願った。
広島に先立つ長崎での平和アピールの中で教皇は、核保有国を中心に主張されてきた「核抑止論」に対しても非難していた。「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来の全ての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります」と説き、「今日の世界では、数百万人の子供や家族が非人間的な条件の中での生活を強いられています。武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、富として築かれ、そして日ごとに武器は、いっそう破壊的になっています。これらは神への攻撃です」と述べた。
また、教皇は、相互不信が拡大し、それに伴って兵器製造の技術革新が続き、軍縮へ向けた「多国間主義の衰退」が進行している世界の現状に憂慮の念を表明した。その上で、「核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします」と述べた。
政治指導者へのメッセージ――それは、次の言葉だ。「核兵器は、今日の国際的また国家の安全保障への脅威に関してわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な『持続可能な開発のための2030アジェンダ』(2015年に国連で採択され、SDGsを中核とする)の達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません」。
この教皇による核抑止論への批判に対し、日本政府は11月25日にすぐに反応。「日米安保体制のもと、核抑止力を含めた米国の抑止力の維持・強化は、我が国の防衛にとって適切だ」(菅義偉官房長官)との見解を明らかにした。
一方、東京からローマへの帰路の機上で、「朝日新聞」の随行記者から「核エネルギーの平和利用」についての質問を受けた教皇は、「個人的な見解だが」と前置きした上で、「私は、完璧な安全が保障されるまでは核エネルギーを使用しないだろう」(バチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」11月28日付)と答えた。