バチカンから見た世界(88) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

教皇は、その愛が「殉教者、例えば、長崎の聖パウロ三木と25人の殉教者(日本二十六聖人)、福者の高山右近、そして、長い年月にわたり信仰を保持していた、名も無き多くの男女たちの証(あかし)を鼓舞していった」と強調した。これは、経済発展や技術の進歩のみに依存し、「人間の生」という実存的な問題に対する解決を見いだそうとする人々への、教皇からの訓戒だったと言える。一国民には、“魂”が必要なのだ。

ここで教皇は、11月25日に東京で開催された「青年の集い」を振り返りながら、生きる意味を失っている――その空洞の最初の犠牲者は若者たちであるとし、「彼らからの質問に耳を傾け」「神への愛に心を開放することによって、あらゆる形の“いじめ”に共に対処し、恐怖と閉鎖(ひきこもり)を克服していくように励ました」と述べた。

さらに教皇は天皇陛下との懇談に深謝を表明。日本政府関係者と各国駐日大使との会談においては、「叡智(えいち)や地平の広さに性格付けられる出会いと対話の文化を要望した。日本は、自身の宗教、倫理伝統に忠実であることによって、より正義にかない、平和な世界、そして、人間と環境の間に調和ある世界の構築に向けて牽引(けんいん)する国となれるであろう」と述べたと報告し、一般謁見でのスピーチを結んだ。