バチカンから見た世界(72) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
また、教皇は、「誰もが孤立し、他者から切り離されて生きることはできない」との真実を示し、「社会生活は、個人の集合体ではなく、国民全体の発展によって構成されるもの」と述べた。経済は、富を蓄積する個人の成功の秘訣(ひけつ)ではなく、人々が密接に関係し合う社会において、人間と社会の全体的発展を目標としなければならないというのが、教皇の説くところだ。仏教的に表現するならば、「諸法無我を基盤とする経済」となるだろう。
社会は、それぞれが密接に関連し合って構成されている――それゆえに、一部を切り離したり、排除したりすることはできず、経済には「包摂的(inclusive)」なビジョンが必要になってくる。その「包摂的」なビジョン達成に向けた第一歩は、「人類は一つの家族」として考えるところにある、と教皇は訴える。
「私たちの住む共同体を、私たちの家族として受け取るなら、相互の助けを受け入れるために競争心を避けることが容易となる」「排除される者や投げ捨てられる人々を生み出さない真の発展とは、(個人的な)成功への執着や、近隣で生活する他者を意図的な排除ではなく、優しさと慈悲によって支えられる関係の結果として構築される」とも語る教皇。そこには、「科学技術の発展は、活動にスピードをもたらすかもしれないが、(人間)関係と制度にさらなる愛を注いでいくことは、人間の心のみにできることである」との確信がある。
「人間同士の友としての倫理」について尋ねられた教皇は、生産能力のみで人を価値付けることが世界の風潮になり、老人や貧しい人、病人、子供、障害者が「社会から投げ捨てられている」と非難した。こうした状況は、金銭を中心に置き、金銭のみに服従する現在の経済システムによってもたらされており、「人間が中心でなくなり、金儲(もう)けが唯一の目的となる時、経済は倫理を逸脱する」というのが教皇の警告だ。