栄福の時代を目指して(7) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
「知識」の圧迫:大学への圧力と科学の縮小
トラギアスの言は、ことごとくトランプ政権の政策に対応していた。少数派優遇政策は、アメリカのDEI(Diversity=多様性・Equity=公平・Inclusion=包摂)を連想させた。トランプ大統領は、就任早々、バイデン政権の時のこの施策を大統領令で廃止して、連邦政府から無くし、その方針を民間の企業や大学、さらには取引のある外国にも止めさせようとしているのである。
コロンビア大学は、はじめは、補助金や契約の打ち切りを決定した政府に対して、校内で起きたイスラエルへの抗議デモの規制を強化するといった譲歩を提案したが、世間から批判を浴びた学長が辞任した。一方で、ハーバード大学は、この方針の中止と教育プログラム・入学選考方式の変更などの要請を斥(しりぞ)けた(4月14日)ため、トランプ政権は90億ドル(約1兆3000億円)規模の連邦政府助成金を凍結すると決定した。ハーバード大学の決定は、大学の独立、学問や言論の自由を守る偉大な行為だと称賛が沸き起こり、コロンビア大学やプリンストン大学も同調する声明を出した。
調べてみると、副大統領のJ・D・バンス氏は、トランプ主義者らの全国保守主義会議で2021年に「大学こそ敵である」というスピーチをしたこともわかった。
――トランプ政権は、大学や学術そのものを敵視しているように見える。自分たちの考え方に反対する人が多いからに違いない。
また、トランプ政権は、財政緊縮のために、米航空宇宙局(NASA)、米海洋大気局(NOAA)などの科学的機関まで大幅に予算を減額し、人員の縮小を命じた。これは、科学の停滞を招くことが懸念されている。アメリカの経済力を支えてきたのは、潤沢な研究資金による科学的前進だったのだから、これではライバル国に追い抜かれてしまうだろう、と専門家たちは憂慮している。
――要は、トラギアスは、「知識」を蔑(ないがし)ろにし、自分たちの考え方に従わない人々、それから独立している人々の科学的・学問的営為を圧迫しようとしているのだ。これは、知識に基づく「政治術」ではなく、まさしく不満を持つ人々への「迎合」で権力の座についた「金儲け術」師による巨艦の操舵に他ならないだろう。
それにしても、この夢は、一笑に付せない内容を持っているように思えた。この中には、現在のアメリカについての報道が反映されているが、それと渾然(こんぜん)一体となって、古代ギリシャ時代の思想が織り込まれている。
――啓示的な意味のある夢が存在するのだろうか?
青年哲学徒・S(即令君)はそう自問して、現実の世界と同じような生々しい夢を思い返しつつ、しばらくは現実と夢の世界を行き来して、沈思黙考していた。
彼の既視感は、夢の舞台であったギリシャの世界で、今のアメリカと同種の出来事が起きていたという感覚だった。そう悟って、古代アテネの運命に思いを致し、今のアメリカ、そして世界の行方を憂えて、背筋が凍り付いたのである。
プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。
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