栄福の時代を目指して(7) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

既視感の正体:迎合 対 技術(アート)

ここでハッと目が覚めた即令君は、身の危険に汗ばんでいたが、妙に臨場感のある夢に既視感を覚えた。この夢は、今のアメリカと古代ギリシャとの間の類似性を指し示しているのだ。

政治家トラギアスにトランプ大統領の言動が反映しているのは改めて考えるまでもない。そして、自分の言っていた「金儲けの術」という言葉にも思い当たるところがあった。ソクラテスの対話編(プラトン執筆)で見かけたことがあるような気がしたので、チャット君に聞いてみたところ、「金儲け術」は、欲望に基づき、正義や善と対立して魂や国家を堕落させるものとして批判されていると説明し、対話編の該当箇所も示してきた。

念のため急ぎ図書館に行き、原典で確かめたところ、チャット君の答えには正しくないところがあったので、指摘するといつものように謝ってきたものの、この調査から得るところは大きかった。

「術」という言葉は、賢者とされていたソフィスト(古代ギリシャで、弁論術などを教えた職業的教師)との対話編で本格的に登場する。その代表が、当時の雄弁家ゴルギアスに対して、ソクラテスが「弁論術」を批判した問答である。

――ゴルギアス? となると、トラギアスというのは、トランプとゴルギアスの合成語ではないか?

対話編でソクラテスは、経験や熟練だけによる「術」と、知識に基づく「技術」を区別し、前者を批判している。Sなりに理解すれば、後者こそが、優れた「アート(技芸)」に相当すると言える。そして、本当の知識を前提としていない「弁論術」が人々を信じ込ませてしまう弊害を持つのに対し、知識に基づく「政治術」こそが、人々の魂のための政治的アートとされているのである。

※弁論術は「知識の伴わない、信念だけをもたらす説得」の技術であり、「知識」に基づく「技術」ではなく、経験や熟練による「迎合」であり、料理法のようなものである。政治術が「魂のための技術」であり、身体のための技術としての「体育術」と「医術」に相当するものとして、政治術には「立法術」と「司法」がある。しかし、医術のもとに、快いものを餌にして無知な人々を釣る「料理法」が潜り込んでいるように、「弁論術」は政治術の影のような「迎合」なのである(『ゴルギアス』(463B~466A、岩波文庫、1967年)

――トラギアスは雄弁で人々を熱狂させていたが、苦しんでいる人々の気持ちや心に「迎合」して訴えかけている「弁論術」なのか、それとも本当の「知識」に基づいて弁論を行っている「政治術」なのか。それが問題だ。

プラトンの描くソクラテスは、医術は健康についての知識に基づくものであるとしたり、航海や舵(かじ)取りの知識を持つ船頭の操舵(そうだ)と、それらを持たない水夫の操縦が対比されたりしていた。もちろん、知識を持たない医療行為は健康を害し、水夫の操縦は難破や水没の危険をもたらす。

※医術は「健康と病気に関する知識」であり、「真の知識」を持つ医師はこの知識を持っているからこそ、患者を回復させることができるのに対し、医術の知識を持たない「無知」な人が治療を行えば、健康を損なってしまう危険がある(『カルミデス』165C、171A、『プラトン全集1巻』岩波書店)。主著『国家』では、知識を持つ医者や船頭は、病気や健康、海の危険に対し、友に善いことができるとし(第1巻332d~333e、岩波文庫)、本当の舵取りの技術を持たない水夫たちが船主に押し寄せ群がって自分に任せるように説得・殺人・眠り薬・酒など手段を尽くして船の支配権を奪い、船の物資を勝手に使い、飲めや歌えやの大騒ぎで操縦することが語られている(第6巻488A~489A)

――もしトラギアスが国家という船を操舵する知識を本当は持っていないのだったら、夢の中の「アテネ」は、「また偉大になる」どころか、水没の危険を冒していることになってしまう。その帰趨(きすう)は、為政者となっているトラギアスが、医者や船頭のように、正しい知識を政治や経済に関して持っているかどうか、にかかってくる。経済の技術についての知識は彼には本当にあるだろうか。
   

金儲け術 対 経済のアート

「金儲け術」についての対話を調べてみたところ、チャット君は、本当の政治家を主題とする『ポリティコス(政治家)』で該当箇所をギリシャ語・英語・日本語訳で示したのだが、その箇所は実際には作品に存在しなかった。Sは驚いたものの、関連する箇所を見つけた。

『ポリティコス(政治家)』は、円熟したプラトン後期の作品で、「エレアからの客人」が「若きソクラテス」と対話して、理想の政治家像を明らかにしている。その中で客人は、他のさまざまな術と区別して政治術を探求していき、広場や貿易で仕事をしている貨幣と物産・貨幣を交換する人々に言及し、その「両替業者とか貿易商人とか船舶所有者とか小売商人」は、本当の政治術を持ってはいないと述べていたのだ(『ポリティコス(政治家)』289E~290A)。

この作品では金儲け術という言葉そのものが明確に使われてはいないにしても、確かに商人や投資家の術は本当の政治術ではないと言明されている。自分が夢中で言ったように、トラギアスの誇るビジネス経験は為政者の技術を保証しないわけだ。

この議論は、プラトンの高弟で体系的哲学を発展させたアリストテレスが、主著の一つ『政治学』で発展させたらしい。ここでは、利益追求を目的とする「金儲け術(取財術)」と、家庭や国家のための「家政術」が区別されていて、相違が強調され、金儲け術は富の蓄積を目的として限度がないため、倫理的な観点から批判的に書かれている。

※金儲け術は、欲望に基づき、交換によって富や財産を限りなく追求すること(蓄財)を目的としていて、経験に基づく術で、自然に反しているのに対し、家政術は家や国を維持するために、自然にかなった有限の富を得る技術であると区別されている(アリストテレス『政治学』第1巻第8章~第9章)

ここでいう「家政術」はオイコノミーであり、当時は家の経済を意味していたが、それが今日(こんにち)の経済(エコノミー)の語源となっている。だから、今の言葉で言えば「経済術」、つまり「経済のアート」と言えるだろう。

――とすると、ギリシャの大哲学者たちは、経済術と金儲け術の混同を戒めて、後者を批判していたことになる。

自分がトラギアスに対して問うた疑問は、まさにこの点についての違和感に基づいていた、とSは思い当たった。

――夢中のトラギアスは「ビジネス経験」を誇っていたが、それは「迎合」の経験や熟練を思わせる。今の時代なら、マクロな「経済運用術」は、経済理論という「知識」に基づく政策に相当するだろう。

Sが夢の中で経済学者の批判について述べたのは、トランプの関税政策に対して、ノーベル賞クラスの経済学者たち(ジョセフ・スティグリッツ氏やポール・クルーグマン氏ら)が経済的に無謀だとか、自傷行為だというように厳しく批判したことを目にしていたからだった。2024年6月にも、ノーベル経済学賞受賞者16人が、トランプが大統領選で勝利したら、インフレ再燃など、アメリカ・世界の経済に悪影響を及ぼすと警告する連名書簡を発表していたのである。

――とすれば今の関税政策は、経験による「金儲け術」に長(た)けたトラギアスが、あたかも知識に基づく「経済術」を有しているように人々に思い込ませることに成功し、「知識」のない水夫のように国家の舵取りをしているようなものではないだろうか。

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