栄福の時代を目指して(6) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

三つの「帝国」と一つの「共和国連合」

スター・ウォーズの世界に戻ってみれば、共和国が「帝国」に変質した後も、ルーク・スカイウォーカーら反乱軍の攻撃と、帝国の反撃や、その後継組織(ファースト・オーダーなど)と新銀河共和国やレジスタンスの戦いが描かれた。この世界の言葉遣いを用いれば、本連載の第3回で述べたように、今の世界的変動は、西洋文明の衰退、さらには覇権国アメリカの衰退に伴うものであり、西洋文明が欧州とアメリカとに分裂して、前者は自由民主主義の理念を堅持しようとしているのに対し、後者は帝国化しつつある。

西洋文明においても、「帝国」は過去繰り返し生じている。その前身(文明史家アーノルド・トインビーの言う親文明)のギリシャ・ローマ文明においては、都市国家が中心のギリシャ文明に対して、ローマ帝国が現れた。ギリシャ文明の理想がヨーロッパに受け継がれているのに対し、今のアメリカはローマの寡頭政支配や帝国化を想起させるし、近代西洋文明においても、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスというように帝国の時代が続いた。つまり、今のアメリカとヨーロッパの緊張関係は、ギリシャ・ローマ文明におけるギリシャ対ローマという相違や、近代西洋文明における「帝国」対「自由民主主義」という相違に類比することができるのである。

こうして今現れつつあるのは、ロシア文明と中国文明の「帝国」とアメリカ「帝国」という3帝国に対して、欧州が(イギリスのような立憲君主制も含むものの)「共和国」連合として、自由民主主義の理想を堅持しようとする世界的構図である。さらに、イスラーム文明をはじめ他の文明圏が存在して、これらと対峙(たいじ)している。

利益主義的帝国の追求する平和

もっとも、このアメリカ「帝国」は、軍事的手段だけに頼ってその版図を拡大しようとしているわけではない。トランプ大統領は、初めにビジネスで成功した人だけに商業主義的・利益主義的発想が顕著だ。「アメリカ第一」という言葉が表すように、アメリカ一国の利益を追求するから政治哲学でいえば、「一国功利主義」ということになる。この発想に基づいて帝国を作ろうとしているのだから、「利益主義的帝国」ないし「一国功利主義的帝国」ということになる。

また、その腹心となったテスラ社CEOのイーロン・マスク氏は、「政府効率化省(DOGE)」を率いて、次々とアメリカ連邦政府職員の大量解雇を行っている。これは、政治哲学でいえば、小さな政府を理想とするリバタリアニズム(自由原理主義)そのものの発想である。トランプ政権は、パリ協定や国連人権理事会からの離脱、米国際開発局(USAID)解体、教育省廃止・縮小などの施策を次々と行っているが、いずれも環境保護や弱者を犠牲にして政府を縮小するという点で、リバタリアニズムの政策そのものだ。マスク氏をはじめ、このような考え方を持っている、数学的・論理的で高知能のIT起業家たちは「テクノ・リバタリアン」と呼ばれている(橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』文春新書、2024年)。

功利主義やリバタリアニズムの思想に共通しているのは、市場経済やビジネスの発想が中心になっているということだ。ゼレンスキー大統領との公開の口論でトランプが「カード」という言葉を使ったり、彼が「ディール(取引)」という言葉を頻発したりするのは、彼らのビジネス的発想をこの上なく象徴している。ガザやグリーンランド、カナダ、パナマ、ウクライナの希少資源・原発の保有には、不動産王と呼ばれた大統領の発想が顕著に表れている。驚くべきことに、外交や仲介の対価として、価値のある土地や資産・資源の獲得を狙っているのである。

ビジネスは戦争を必ずしも好むとは限らない。軍需産業は戦争と親和性があるが、その国を巻き込む大戦争はビジネスの展開も妨げるからだ。よって、トランプ政権がガザやウクライナの戦争に対して、平和を実現しようという企図を掲げていたのも、この観点からは理解可能である。ただ、その実現のために「ディール」という商業的手段を用いようとしているのである。その取引内容が、例えばウクライナとの交渉ではアメリカが希少資源を獲得する見返りとして、ウクライナに対してロシアとの停戦や和平を仲介することなのだ。

日本文明の理念による「和」のバランス外交

ウクライナおよびロシアにせよ、ガザおよびイスラエルにせよ、このような商業的観点から戦争を行っているわけではまったくない。国土のためだったり(ウクライナ)、勢力圏のためだったり(ロシア)するし、ガザ・イスラエルの場合はさらに宗教的要因も関わっている。

だから、アメリカの提案する「ディール」は必ずしもすぐには成功しない。ガザの停戦は実現したものの、イスラエルの攻撃によって人命が失われて崩壊の危険にさらされている。ウクライナは、前述の口論の後で軍事支援や機密情報の共有を中止されて「30日間の即時停戦」に合意した(3月11日)ものの、プーチン大統領は即時停戦を拒否して、合意はエネルギー施設への一時的攻撃停止に留(とど)まり(3月18日)、アメリカはウクライナ原発のアメリカ所有を提案した(3月19日)。

では、日本はどのような道を取るべきなのだろうか。欧州の強調する自由民主主義や国際法の理念はまことに尊い。欧州の観点からすれば、保証のない停戦はロシアの戦力回復を可能にして、ウクライナの領土割譲や再侵略のみならずポーランドをはじめ他の近隣諸国の侵略を許すことになりかねないのである。ここには、ナチスに対する宥和(ゆうわ)政策の再現という懸念がある。

しかし、日本は地政学的にも欧州とは遠いし、NATOの一員ではないから、平和憲法の国是からしてもウクライナに軍事的支援を行うことはできない。そこでこの局面では、欧州の自由民主主義と国際法を守ろうとする努力に最大限の敬意と連帯を表明しつつ、日本文明の「和」という平和主義的理念を中心に働きかけていくべきだろう。欧州との相違は、戦争で失われる人命と、自由民主主義の理念や国土のどちらを優先するかという点にある。

【次ページ:人命と政治的理念のモラル・ジレンマ】