カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~(3) 写真・マンガ・文 平田江津子

“運命の分かれ道”となった出会い

カズキは、3歳から知的障害児通園施設に通い始めました。就学先の小学校については、医師や専門家、施設スタッフの全員から「特別支援学校がふさわしい」と言われていたので、彼にとってそれがいちばん良い道だと思っていました。

そんなある日、知人からの勧めで年長の一年間、週に半分だけ地域の幼稚園の併用を試みることにしました。

これが、“運命の分かれ道”となりました。

驚くことに、カズキは通園して間もなく、絵カードを使って「地域の幼稚園に行きたい」と初めて、自分の意思を私に伝えてきたのです。

また、クラスの先生から、女の子に膝枕をしてもらってニヤケ顔のカズキがうつる写真を見せてもらった時は目を疑いました。それまで私は、カズキが人に興味を持たないため、友だちと関わらないだろうと思い込んでいたからです。

幼稚園を覗(のぞ)いてみると、周囲の子たちは自然にカズキとの違いを知り、付き合い方を身に付けていました。ダメなことはダメと伝え、言葉が通じないと思えば、先生を真似(まね)てジェスチャーで伝える子もいました。

私たち夫婦は、「これがいい!」と思いました。幼い頃から健常児と障害児が“いっしょ”に過ごすことで、今とは違った社会がつくられる気がしたのです。これまでのような、「一つでもできることが増えるように」「“普通の子”に近づけ」と言われながら訓練し続ける人生と、みんなと同じ社会の中で、カズキの存在を知ってその個性を認める人に囲まれて生きる人生。「カズキにとっての真の幸せとは何か」を問う日々が続きました。

そして、2011年も明け、カズキの小学校入学を間近に控えていたある朝、「インクルーシブ教育、イタリアに学べ」という見出しの新聞記事が目に飛び込んできました。

「イタリアは国の施策として、障害児もみんな普通学級で必要な支援を受けながら学ぶ」「(日本も)全ての子どもが地域の学校に籍を置き、その上で必要な支援を受けられる教育制度に変えるべきだ」と語る研究者の言葉でした。

「こ、これ、これだ!」

この時、初めて知った“インクルーシブ教育”というワードを目の当たりにして、心の奥に潜んでいた違和感が次々と湧き上がってきました。「なぜ、障害のある子の親だけが、就学の時にこんなに悩み苦しまないといけないのだろうか。地域の学校が、どのような子どもでも入学を歓迎するシステムになっていないことこそが、大きな問題ではないか」と。

カズキを取り巻く“障害児の専門家”と言われる方々の反対を押し切り、急きょ、地域の小学校へと就学先を切り替えた私たち夫婦。今も、あの時の選択に間違いはなかったと、心から思っています。

プロフィル

ひらた・えつこ 1973年、北海道生まれ。1男3女の母。立正佼成会旭川教会教務部長。障害のある子もない子も同じ場で学ぶインクルーシブ教育の普及を目指す地元の市民団体で、同団体代表である夫と二人三脚で取り組みを進めている。