カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~(2) 写真・マンガ・文 平田江津子

“ありのまま”を認めることができなかった後悔

2歳半で「小児自閉性障害」と医師から診断された息子・カズキ。ショックと不安に襲われた私を支えた一つが信仰でした。特に、物心ついた時から立正佼成会の信仰と共に歩む中で学んだ法華経の「法師品」です。その中に説かれる、人を救うために、自ら誓願して生まれてくるという「願生(がんしょう)」の教えに初めて触れた時、衝撃を受けました。

ちょうどその当時、私に全盲の友だちができました。その友だちに対して「生まれつき目が全く見えないとは、なんてかわいそうな人だろう」と思っていました。しかし、法師品の研修を受け、「全盲で生きるという大変な修行を自ら誓願して生まれてきたんだ!」と、その友だちに対して尊敬の念を抱く心に変化したのです。その気づきを鮮明に覚えていた私は、「カズキは自閉症として生きることを、私はそんなカズキを育てる人生を、選んで生まれてきた。私たちの命はなかなかなチャレンジャーかも!」と気持ちが前向きに切り替わるのに、そう時間はかかりませんでした。

カズキが診断された頃。きょうだい3人で

また、カズキの2歳年上の長女が小学3年生の時、突然、「私は生まれる前の世界でもカズキと一緒にいたの。カズキは〝自閉症〟という札を選んで、神様に渡してお母さんのお腹(なか)に入ったんだよ。カズキは自分で選んだ人生だから、何も心配しなくていいんだよ」と私に話してきたのです。法師品の教えを証明してくれたように感じ、あの長女の言葉は今でも私の大切な宝物となっています。

一方、カズキが診断された頃、「自閉症」ってなんなのか、どんな治療や教育が必要なのか全く知識がなかったため、すがる思いで医師や行政機関のアドバイスに従ってきました。さまざまな訓練を施す療育センター、ことばの教室、日常生活機能訓練をうたった児童デイサービスにも通わせました。

3歳になって、障害児専門の幼稚園に通園が決まりましたが、「しゃべれない」「できない」カズキを「できる」健常児に近づけたいがため、あっちの訓練、こっちの療育と連れ回しました。二女を出産したばかりだった私は、心身ともにしんどかった思いしか残っていませんが、カズキにとっても明らかに負担だっただろうなぁと思います。

あの時、カズキのそのまま、ありのままを丸ごと認めることができなかったこと。そして、カズキの持つ権利(障害の有無にかかわらず、誰もが生まれながらに持つ権利)について考えていなかったこと。この時期を振り返るたびに、カズキに対して申し訳ない思いと後悔の念が湧き上がってきます。

プロフィル

ひらた・えつこ 1973年、北海道生まれ。1男3女の母。立正佼成会旭川教会教務部長。障害のある子もない子も同じ場で学ぶインクルーシブ教育の普及を目指す地元の市民団体で、同団体代表である夫と二人三脚で取り組みを進めている。