バチカンから見た世界(32) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
分断を招く善悪二元論 憂えるイエズス会の機関誌
米国のトランプ政権とバチカンは、なぜ鋭く対立するのか――。イエズス会が発行する雑誌「チビルタ・カトリカ」に8ページにわたって掲載された『福音的原理主義とカトリックの政教一致主義』と題する論説記事は、その解明に迫ったものだ。
米ドル紙幣には、「IN GOD WE TRUST(われわれは神を信頼する)」という一節が印刷されている。同誌は、このことが、「宗教的動機(メイフラワー号)が建国の根源にある米国」にとって、「ただ単に信仰の表現」であるのか、それとも、「宗教と国家、信仰と政治、宗教的価値と経済的価値に関わる問題を統合するためのものなのか」との問いを設定し、現状の分析を試みた。その答えとして、同誌は「ここ数十年間、米国での大統領選挙のプロセスや政権の決断に、宗教がこれまでになく決定的な役割を果たしてきた」とし、政治の動向や、道徳の形成に宗教が大きく関わり、「絶対的善と絶対的悪というマニケイズム(善悪二元論)的な性質を帯びてきている」と指摘する。そして、その宗教として、キリスト教の福音的原理主義を挙げた。
2001年の米国同時多発テロ発生後の世界について、当時のブッシュ大統領は、「悪の極」といった表現を用い、「世界を悪から解放する」と主張した。現在のトランプ大統領も、広範囲な一般的集団に対しても、「bad(悪い)」「very bad(とても悪い=極悪)」という言葉をよく用いる。こうした「善悪二元論」が、原理主義者たちの発言の中では、“終末論”的な論調を帯びて用いられることもあるという。世界を簡単に二つの極に区分し、二項対立によって捉える基盤が、「昨世紀末の福音キリスト教原理主義の原則」の内に見られるというのだ。そして、その傾向は「時とともに進み、過激になっている」と、「チビルタ・カトリカ」は分析している。民主化、世俗化が進み、宗教や道徳の価値感はそれに強く影響を受けてきたが、これに対し、「政治を含む、全ての“世俗的”なものを拒否する態度から、宗教道徳が、民主化プロセスとそれが招く結果に、決定的な影響力を及ぼすことができると考え、方向転換した」というのだ。
現在、「福音右派」「神権保守主義」と呼ばれるキリスト教の福音的原理主義の起源は、1910年からの15年の間にあるとされ、カリフォルニア州南部の富豪、ライマン・スチュワート氏らによって書かれた『根本原理――真理の証言』(全12巻)を基盤にしているという。当時の現代主義の理念を脅威と見なし、警告を発したスチュワート氏ら原理主義者たちは、「米国が神から祝福された国であり、国の経済発展は、聖書に記されたそのままを実行することに依拠する」と言って譲らなかった。それは、聖書を現代的に解釈して、イエス・キリストの精神を大切にするということとは別のものだ。
だから、「チビルタ・カトリカ」によれば、彼らの主張する「アメリカ的生活形態」においては、米国現代史の中で見られる「現代主義の精神、公民権運動、ヒッピー運動、共産主義、女性解放運動、近年では、移民やイスラームを信仰する人々」は脅威と見なされ、闘う対象になる。そして、彼らは対抗意識を高めるために、現実離れした聖書の解釈を行い、『新約聖書』のキリストの愛よりも、『旧約聖書』の「約束の地への到着と擁護」を一層強く主張するようになったというのだ。「約束の地」に到着し、その地を守るためであれば、彼らは紛争も武器の取引もいとわない。戦争を「神に導かれる軍隊」の英雄的行為として位置付けることで、善悪の闘いという二元論的なビジョンを示し、自らが考案した「神学的な解釈」によって武器の使用を正当化するからだ。
さらに、同誌は、米国最南部の白人によって構成される、福音的原理主義者の宗教団体が説く、「創造界」(この世の自然)との関係に注目する。彼らは、「環境災害や気候変動が招く諸問題に対して鈍感である」という。『旧約聖書』の創世記を原理的に解釈し、自分たちが創造界の「支配者」であると信じているからだ。だから、環境保護に携わる者を、「キリスト教の信仰に反する」として非難するのである。