バチカンから見た世界(175)文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

米国カトリック教会の枢機卿3人(ブレース・スーピッチ・シカゴ大司教、ロバート・マケロイ・ワシントンDC大司教、ジョセフ・トビン・ニューアーク大司教)は、トランプ政権の外交政策に「倫理規範」を要請し、教皇レオ14世が今年初頭、バチカン付け外交団に向けて行ったスピーチの中に、「ここ数年の米国による外交政策の道程を定めるための倫理的羅針盤がある」と主張していた。ローマ教皇レオ14世は1月19日、バチカン付外交団(184カ国)に向けて行った長文のスピーチの中で、聖アウレリウス・アウグスティヌス(354〜430)が体系化した宗教地政学と平和神学の大書『神の国』(426年、全22巻)について述べた。

聖アウグスティヌスは、外国からの諸民族の侵入によって揺れ動き、崩壊の危機にあった西ローマ帝国時代に、北アフリカのヒッポ・レギウス(現在のアルジェリア・アンナバ市)の司教を務め、当時、歴史の浅かったキリスト教の神学・文化思想を包括的な視点から確立させていった哲学者。神学者であり、修道士、説教師でもあった。ラテン系(ローマ派)のカトリック教会では、最も重要な教父の一人として尊重されている聖人だ。彼の教えを後世に伝えていくための「聖アウグスティヌス修道会」も設立されており、これに属していたレオ14世が、教皇に選出される前に総長を務めていた経緯もある。

西ローマ帝国内で流行していた「二元論」(マニケイズム/マニ教)についても学んだアウグスティヌスだったが、ローマ哲学や、ギリシャ哲学の新プラトン主義に影響を受け、さらに、イタリア北部ミラノ市のアンブロジオ司教(現在は聖人)と、すでにキリスト教徒であった母親モニカ(彼女も聖人)に押され、青年時代の奔放で乱れた生活を改め、386年に息子と共に洗礼を受けた。

母親が387年にローマ郊外で死去した後、北アフリカに帰り、そこで息子や同志たちと共に修道生活を始めた。北アフリカで391年に司祭、396年には司教に叙階された。だが、410年、ゴート族の侵入によって西ローマ帝国が崩壊し、異教徒やキリスト教徒の間で、西ローマ帝国の国教でもあった「キリスト教が同帝国の崩壊を防ぎ得なかった」との論争が湧き上がってきた。アウグスティヌス司教は、その論争に『神の国』を著すことで応えていった。人類の救済史を、世界史の中で「神の国」と「地上の国」が、同時進行するプロセスとして説明したのだ。あくまでも、二元論を避け、ローマ帝国に代表される「地上の国」を宗教地政学の視点から分析し、キリストが説き、神の愛による創造の秩序である平和が実現する「神の王国」へと向かって、全てが収束していくと説いた。「神の王国」は信仰の眼がなければ見えない世界だが、「地上の国」と共に、すでに実在しているのだ。

教皇レオ14世は、バチカン付外交団に向かい、「神の国」を「隣人、特に貧者への愛を含む、神の無条件の愛によって特徴付けられる永久の国」と説明し、「地上の国」を「人間の死に至るまでの仮の宿」と定義した。これは、現代世界における社会、政治制度、家族、国家、国際諸機関を含む世界であり、ローマ帝国に代表されるように、「自己崩壊へと導く、自身の誇りに対する執着、権力への欲求、世俗の光栄の追求によって性格付けられる国」なのだ。

さらに、聖アウグスティヌスが「この二つの国が、世の終わりまで共存する」と教えていると指摘する。従って、キリスト教徒は、「地上の国で生活するように神から誘われながらも、真の故国である神の国に対して、心と思いを向けて生活していかなければならない」という。

だが、地上の国に住むキリスト教徒は、政治世界から隔離された存在ではなく、「世俗政権に対して、福音からインスピレーションを受けた、キリスト教倫理を適応していく」とも教皇は説く。神の国は、政治プログラムを提供するわけではないが、「諸国民間における、より正義に適(かな)い、平和的な共存といった、社会・政治生活の基本的な問いに対して、貴重な示唆を与えていく」と例を示した。そして、教皇は、聖アウグスティヌスが「歴史の虚偽なる解釈(歴史修正主義)、行き過ぎた国粋主義、政権担当者の理想の歪曲(わいきょく)によって、政治生活が重大なる危険に晒(さら)されると指摘している」と伝え、注意を促した。

バチカン報道官のマテオ・ブルーニ氏は2月25日、教皇が4月にアフリカ諸国を歴訪する際に、聖アウグスティヌスが司教を務めた、アンナバ市を訪問すると明らかにした。