栄福の時代を目指して(16)〈後編〉 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

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価値の共創――徳義共生主義の連合理念

倫理的中道を徳とみなす上で大事なのは、価値の共創という視点である。現在の日本政治では、価値を語らないリベラリズムと、感情を煽るポピュリズムが、結果として倫理を空洞化させてきた。リベラル政党の弱点は、ここにある。私たちの選挙分析では、立憲民主党の支持者には(徳や、心の豊かさ、脱物質主義などの)価値を重視する人が多いが、この政党は価値を訴えないので、支持層は棄権に回っていることが多く、伸び悩みの原因となっていた。

これに対し、徳義共生主義(リベラル・コミュニタリアニズム)とは、価値観・世界観も含めて正義を議論し、人々にとって共通の善を探求する思想である。これは、権威主義的な保守主義のように価値を上から押しつけるのではなく、異なる立場の人々が、熟議と協働を通じて「共に」公共的価値を生み出していく――これが価値共創である。

中道改革連合では、二つの政党が合流しているので、片方の価値を押しつけるのではなく、双方や、さらには新しく加わる他の人々が価値共創を行っていくのが適切だろう。つまり、これは徳義共生主義的な連合の理念であると言える。

綱領などの中から、この共創の中核に相当する価値を考えれば、「幸福(ウェルビーイング)/平和/福祉/公正」だろう。

ウェルビーイングは、ポジティブ心理学の中心的概念であり、これが政治の理念となることはまことに喜ばしい。これは快楽的幸福だけではなく、持続的な質的にも高い幸福を含む。平和と福祉は公共的ウェルビーイングの重要な観点だ。そもそも「福祉」という用語は、日本語では幸福を表し、英語のウェルフェア(幸福)も、ウェルビーイングと語源が同じなのである。また、公正は、私の分析では「法の遵守、平等、公明性、互恵性」からなる概念であり、この中の倫理的要素が「公明性」である。

理想主義的現実主義――原発・安保法制における中道

価値と倫理的中道という観点からとりわけ注目すべきは、綱領末尾に「改革の軸として、理想を掲げながら現実的な政策実現のために結集する」とされているように、「理想主義的現実主義」が貫かれている点である。これは公共哲学の中心的概念で、――独自の価値哲学を提起した南原繁(終戦後に東京大学総長としても大きな影響を与えた政治哲学者)のように――理想を粘り強く追求しつつ、現実の中で可能な行動や政策を実践することを指す。綱領における「国民の利益と幸福」という表現も、理想と現実をともに追求するという点で、これに連なっている。

特に論争を呼びがちな原発政策では、「将来的に原発に依存しない社会を目指す」という脱原発の理想を明確に掲げつつ、現実のエネルギー状況を踏まえた段階的対応を認めている。理想を放棄しない一方で、現実的な方策を取るという中道的な判断である。この現れとして、基本政策では原発再稼働を認めるとされている。これは中道右派的な判断だ。

安全保障政策においても、基本方針では、「日本の存立が脅かされ、国民の生命・自由が根底から覆される明白な危険がある事態」に言及しつつ、「存立危機事態における自国防衛のための自衛権行使は合憲」としている。「合憲」という表現に、中道右派的な判断が見える。

ただ、ここで注目すべきは、「自国防衛のための自衛権行使」について合憲と表現されていることだ。この表現は日本が攻撃されたときの「個別的自衛権」(専守防衛)を連想させる。綱領の「第4の柱」に「憲法の平和主義に基づく専守防衛を基本に」と明記されていることに呼応している。ここから、立憲民主党側の有力議員(枝野幸男氏・小西洋之氏)が党見解と整合的と見なしている。

逆に言えば、それを超えた部分(法文上の「日本の存立が脅かされ、国民の生命・自由が根底から覆される明白な危険がある事態」の中の、自国防衛に相当しない部分)については合憲とは明言していない。つまり、高市失言のように、台湾有事の時などは、「日本防衛」には当たらないと考えられるから、このような自衛権(集団的自衛権)については合憲とは明言していないわけだ。従って、安保法制の一部(集団的自衛権)を違憲とする中道左派的な判断とも両立し得るだろう。前回に述べたような危惧に関して、立憲民主党側が党見解を変更することなく、もともとの党見解と整合的な綱領に合意して新党へと加わることは、必ずしも妥協とは言えず、節を守っているとして評価に値する。

要するに、綱領におけるこの表現は、単一の憲法解釈を押しつけるものではなく、専守防衛を前提にしつつ、それを厳密に遵守する立場と、一部だけそれを超えた「現実的な外交・防衛政策」を許容する立場の双方が共存して熟議の対象となり得る余地を残している。よって、これは、原発問題とともに、理想主義的現実主義の政策と言える。状況によって、賢慮と熟議によって、原発問題や安保法制問題について、適切な中道的判断を行うことが可能になるからだ。その結果として、ある時は中道右派、ある時は中道左派という政策になって、全く不思議はないのである。

ここで重要なのは、これは「曖昧さ」ではなく、幅広い中道を包摂するための優れた設計として理解することである。生命と自由を守るという価値は明確に共有しながら、その具体的な手段については、知恵と民主的熟議に委ねる。この構造こそが、倫理的中道と理想主義的現実主義が交差する地点である。これらの文書が示しているのは、価値なきリベラリズムと、ポピュリズムの双方とも異なる第三の道、すなわち、価値を明示しつつ、排他的な解釈を避ける政治の可能性なのである。

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