食から見た現代(14) “安心・安全”な食の時間〈前編〉 文・石井光太(作家)

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神奈川県相模原市の閑静な住宅街にある児童養護施設「中心子どもの家」(https://kodomo.chusinkai.net/)に、調理スタッフたちが出勤するのは早朝の5時過ぎだ。寝静まっている暗い廊下を通って奥の調理室へ行き、前日に仕込んでおいた食材を手分けして調理していく。
中心子どもの家は3階建ての大きな建物で、幼稚園児からおおむね18歳の子まで45人(2025年1月時点、定員50人)の子どもたちが暮らしている。2階に男子のユニットが二つ、3階に女子のユニットが二つあり、日中はユニットごとに担当の職員がいるが、夜間は各階に当直の職員が1人ずつ泊まる。
起床時間が午前6時半以降であるため、調理スタッフはそれまでに人数分の朝食を用意するだけでなく、昼食用のお弁当も作らなければならない。相模原市の公立中学は学校給食と家庭弁当の選択制なので、幼稚園児や高校生のためだけでなく、中学生用の弁当も用意する必要があるのだ。
子どもたちは一人、また一人と目を覚ますと、午前7時頃に寝ぼけ眼のままみんなでそろって作りたての朝食を食べる。高校生は個々で登校時間が異なるため、各自のスケジュールに合わせて食べるルールになっている。
食事のメニューは和洋様々だ。ある日は「食パン、チョコクリーム、コンソメスープ、スクランブルエッグ(ウインナー入り)で、別の日は「白米、味噌(みそ)汁、ちくわとシーチキンのマヨネーズ炒め、焼豚フレーク」、また違う日は「菓子パン、食パン、クラムチャウダー、ヤクルト」だ。
近年、一般の家庭では、格差や親の多忙化もあって、朝食を摂らない子どもが増えたり、メニューが固定されていたりする中で、これほどバリエーションに富んだ朝食を毎日食べられる子は決して多くないだろう。
とはいえ、彼らが児童養護施設にやってきた背景には、家庭内の暴力など複雑な事情がある。大半の子にとって家庭での食事は、つらい記憶に満ちた時間なのだ。児童養護施設の子どもたちにとって、食事とは何なのだろうか。
中心子どもの家から垣間見える、そんな子どもたちの姿を見ていきたい。
中心子どもの家は、最近では減ってきている、十数人のユニットを複数有するタイプの施設だ。
かつての児童養護施設は、数十人の子どもが一つ屋根の下で集団生活を送る形態が普通だったが、近年になって国はより家庭的な環境で育てることを目指して、おおよそ6人くらいの子どもが共同生活を送るグループホームへの移行を進めている。一軒家に職員と子どもたちが家族くらいの単位で暮らすのである。
中心子どもの家もそちらへ移行する準備を行っているが、どちらが良い悪いというわけではなく、大きな規模の施設ならではのメリットもあると言われている。職員をはじめとする大勢の大人と接することができる、地域との交流がある……。
また、施設で提供する食事も一定のレベルを保つことができる。グループホームでは担当の職員が調理をするのが一般的だが、中には自炊経験の乏しい、料理が苦手というような職員が勤めているところもある。一方、調理担当と養育担当が分かれている大きな規模の施設では、熟練の調理スタッフが数人がかりで調理をし、受け継がれている伝統のレシピもあるので、高い質を保つことができる。
施設長の丹清氏(62歳)は話す。
「うちは戦後まもなく開設され、80年近い歴史があります。そのため、ベテランの調理スタッフもいますし、食に関するたくさんの知識が蓄積されています。
ユニットごとに生活のルールはありますが、食に関しては比較的自由にやってもらっています。量を食べられる子もいれば、そうでない子もいますし、部活やアルバイトで食事の時間もバラバラです。昔は一律に決めていた時期もありましたが、時代に合わせてそれぞれが無理なく食を楽しめるような環境を作っています。
私としては、子どもたちにとって食の時間が“安心・安全”なものになってほしいと願っています。そのためにもできるだけ子どもたちにとって楽しい時間にしてあげたいというのが正直な気持ちです」
中心子どもの家に限らず、児童養護施設に入ってくる子どものほとんどが保護者からの虐待を受けてきた過去を持っている。虐待とは、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つを示す。
家庭で虐待に遭った子どもたちは、児童相談所によって保護された後に、児童養護施設に預けられることになる。原則として、保護者が家庭環境や意識を改善したと判断されるまで、保護者のところに帰ることは認められない。
劣悪な家庭環境で育った子どもたちは、適切な食生活を経験しないまま成長していることも多い。丹氏は次のように語る。
「ネグレクト気味の家庭では、一日三食ちゃんと食べさせてもらえなかった子が少なくありません。家での食事は毎回菓子パン一個だったとか、食事を出してもらえず夜な夜なこっそりと冷蔵庫を漁(あさ)るしかなかったといったことがあるのです。親がお金だけ与えていたことから、ずっとコンビニのスナック菓子でお腹を満たしていて、逆に肥満になったといった子もいます。
食に飢えている子たちは、ここに来ると調理スタッフの作った食事に感激しますね。一日三回、こんな立派なご飯が黙っていても用意されるのかということが驚きなのです。初めはみんなガツガツと満腹になるまでかき込むように食べますが、何日かつづけていくうちに、ここでは食がちゃんと保障されているのだと気づき、少しずつ落ち着くようになります」