「脇祖さま報恩会」庭野会長が法話 日々新たに学び続ける(動画あり)
庭野日敬開祖と共に立正佼成会を創立し、副会長として本会の発展を支えた長沼妙佼脇祖。その祥月命日にあたる9月10日、「脇祖さま報恩会」が大聖堂(東京・杉並区)はじめ全国各教会で行われ、長沼脇祖の遺徳を偲(しの)び、報恩感謝の誠を捧げた。大聖堂では会員約1400人を前に、庭野日鑛会長が法話を述べた。
長沼脇祖は1936年、庭野開祖に導かれ、46歳の時に法華経に出遇(であ)った。当時は重い病気を患っていたが、体調を回復した後に信仰の道を歩み始め、38年3月5日、庭野開祖と共に本会を創立。人々の救いのために教えを伝え、会員の育成に尽力した。57年9月10日、67歳で遷化。本会の礎を築き、人々の幸せのために尽くした慈悲の生涯を讃(たた)え、2000年に庭野会長から「脇祖妙佼慈道菩薩」の法号がおくられた。
大聖堂の式典は、佼成箏曲部の序奏で開式。長沼脇祖の説法と写真をまとめた映像作品が上映された後、佼成合唱団による「あゝ脇祖さま」の合唱に合わせ、全国の青年女子部員代表20人が奉献の儀を行った。続く読経供養では、導師の庭野光祥次代会長が庭野会長の「報恩讃歎(さんだん)文」を奏上した。
続いて、体験説法に立った舞鶴教会の野田頭正浩教会長は、父親の戦死に伴い、幼少期に青森県にある父親の実家に母親と移り住んだ体験を詳述。「子どものために、贅沢(ぜいたく)は良くない」と、母親が大きな物置を借り受け、兄、姉と共に家族4人での生活が始まったが、決して楽なものではなかったと振り返った。そうした中で、佼成会の信仰に導かれ、サンガ(教えの仲間)の声かけや心配りが温かく、家族の心の支えになったと強調。特に、東京からやってきた幹部会員が未明まで自宅で法座を行い、帰り際にご宝前の鐘の中に300円を入れて、「文房具を買って、勉強に励むんだよ」と頭をなでてくれたことが今も忘れられないと語り、感謝の言葉を述べた。
また、教会長として赴任した教会では、庭野開祖の願いが込められた「会員綱領」をかみしめ、「家族が和になれる修行」を心がけてきたと振り返った。一方、介護・福祉分野のニーズが高まる昨今、問題解決のために行政との連携が欠かせないことを痛感したと吐露。市民と行政サービスの橋渡し役を担って社会に貢献できるよう、会員が率先して民生委員を引き受けるなどして、教会を挙げて力を注いでいると語った。
この後、法話に立った庭野会長は、「尋常(常を尋ねる)」という言葉に触れ、何があっても「人間として変わらない原理、原則を失わないように、普段から修行しておくというのが、尋常の意味」と説示。尋常小学校や尋常中学校など、かつて日本の教育機関の名称にも冠されており、子どもの教育の重要性が表されていると述べた。
また、江戸時代の儒学者である佐藤一斎が『言志晩録』に記した言葉「少(わか)くして学べば壮にして為(な)すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」を紹介。「毎日新たな修行をしていくことが、私たち一人ひとりが生きている意味」と述べ、年齢を重ねても、毎日、新たな自分として一日を迎え、学び続けることが大切と語った。
式典終了後、庭野会長は光祥次代会長と「お山」(長沼脇祖旧私邸)を参拝した。