薬師如来像がつむいだ黄金の絆 日中友好宗教者懇話会が50周年記念式典を東京で

記念式典で祝辞を述べる中国佛教協会の学誠会長

日中友好宗教者懇話会の創立50周年記念式典が5月29日、東京・千代田区のホテルで行われた。中国からは、中国佛教協会の学誠会長、国家宗教事務局政策法規司の韓松司長が出席。日本からは、同懇話会の持田日勇会長(日蓮宗本山東身延藻原寺貫首)、山田俊和理事長(天台宗東北大本山関山中尊寺貫首)、立正佼成会の庭野日鑛会長をはじめ仏教者約150人が参集し、半世紀にわたる友好の歩みに思いを寄せて慶事を祝った。

第二次世界大戦で中断した日中の仏教者の交流が再開したのは1952年。中国佛教協会から日本の仏教界に、平和と友好のしるしとして薬師如来像が贈られたことにさかのぼる。

会場には65年前に中国佛教協会から日本の仏教界に贈られた薬師如来像が奉安された

これを機に交流が始まり、翌53年には、日本の宗派を超えた仏教者の有志らが中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会を組織。戦時中に、日本に強制連行されて亡くなった中国人の慰霊と遺骨の送還を続けた。

66年、中国で文化大革命が起こり、両国の仏教交流は再び中断した。その中で、同慰霊実行委員会や日中仏教交流懇談会に所属していた有志らの「仏教交流の灯を消すことはできない」という願いにより、翌67年に日中友好宗教者懇話会が設立された。以後、両国の友好と仏教交流の発展に尽くし、今年50周年を迎えた。

29日の記念式典の会場に設けられた御宝前には、65年前に中国佛教協会から日本に贈られ、交流再開の機縁となった薬師如来像が奉安された。当日は、像に向かって両国の代表者が登壇し、さらなる友好と平和を祈念して法要を厳修した。

あいさつに立った持田師は、両国の交流の歩みとその意義を説明。今後も互いに自利利他の精神をもって、仏教の興隆のために尽くしていく決意を表した。

約150人の参集者を前に、祝辞に立つ庭野会長

続いて、学誠法師、全日本仏教会の小峰一允会長(真言宗智山派管長)、庭野会長が祝辞に立った。この中で、庭野会長は、1987年当時、本会の長野・穂高町(現・安曇野市)の保養施設に天台宗の山田惠諦座主、中国佛教協会の趙樸初会長、本会の庭野日敬開祖が集い、サクラ、コブシ、ナナカマドをそれぞれ植樹したことを紹介。その際、趙師が「木は形あるものとして存在していますが、我々が植えたのは、形のない『平和の心』にほかなりません。これは何百年と続いていく可能性があるのです」と話したエピソードに触れながら、両国の仏教交流が慈悲と寛容の心を大事にして続くことを願い、言葉を寄せた。

この後、学誠法師が『初心を忘れずに未来を切り開いていこう』をテーマに記念講演。唐の時代に鑑真和上が日本に戒律を伝え、平安時代に弘法大師・空海や伝教大師・最澄が中国で学んだことなどを例に、いにしえから現在まで続く両国の長い仏教交流の歴史を紹介した。その上で、「水を飲む時には、その源について考えなさい」という中国のことわざを挙げ、同懇話会を築いた先達の恩に感謝して、植えられた「友好の木」を両国の仏教者の協力によって大きく育てていくよう語り掛けた。