寄宿学校制度は壊滅的な過ちで福音に反する――教皇(海外通信・バチカン支局)

ローマ教皇フランシスコは7月25日、カナダ先住民との癒やしと和解に向けた「悔い改めの巡礼」で最初にカナダ西部のマスクワシスにある先住民居住区を訪れ、スピーチの中で繰り返し「許してください」と謝罪した。

同国では、1831年から1996年まで、15万人を超えるカナダ先住民「ファースト・ネーション」「メティ」「イヌイット」の子供たちを強制的に家族から引き離し、寄宿学校での生活を通して西洋文化に同化させる政策が実施された。同国連邦政府による同化政策は、カトリック教会を中心とするキリスト教諸教会が運営を委託された130に上る寄宿学校で展開。先住民の子供たちは、自らの家庭のみならず、民族の言語や文化を剝奪され、白人のキリスト教徒である聖職者や教師たちから、さまざまな虐待を受け、少なくとも4000人の子供たちが死亡したとされる。今年に入り、同国の各地の寄宿学校跡では墓標も記録もない多くの子供たちの集団埋葬地が次々と発見されていった。

教皇が訪問した先住民居住区内には、「熊の丘」(ブルーベリーの灌木=かんぼく=が群生し、熊たちがベリーを求めてやってきた場)と呼ばれる場所がある。そこは寄宿舎学校の跡地でもあり、犠牲となった多くの先住民の子供たちの墓地には白い十字架が立ち並ぶ。併設されるカトリック教会は、「七苦の聖母教会」という象徴的な名前だ。

「熊の丘」に到着した教皇は、「ファースト・ネーション」「メティ」「イヌイット」の代表者に迎えられ、先住民の叩(たた)く太鼓の音とともに、先住民の子供たちが葬られている墓地へと行進した。入り口では、カナダ全土から参集した先住民の使節団が教皇を迎えた。膝の不自由な教皇は、車椅子に乗り、立ち並ぶ白い十字架の前で悲痛な思いを込めた黙とうを捧げた。

「悔い改めの巡礼」でカナダを訪問する前、ローマ市内の教会にある聖母画像の前で祈る教皇フランシスコ(バチカンメディア提供)

教皇は、犠牲となった先住民の子供たちに思いを馳(は)せながら、自身の「苦痛を表明して、神の許しを懇願」した後、「私は今日、この地に、あなたたちの許しを乞い、心からの深い苦痛を再表明するために来た」「弾劾されるべき悪の前で、カトリック教会は、自身の子供たち(聖職者や信徒たち)が犯した罪に対し、神に跪(ひざまず)いて許しを乞う」と繰り返した。

さらに、先住民が自分たちの住む地を、「創造主から与えられ、全ての生きとし生ける存在が、生命力のある相関関係と相互依存によって成り立っているというビジョンの中で、他者と共に内包されている全ての存在を調和のうちに愛した」のに対して、西洋の植民地主義がこの地にもたらしたのは、「ここ数カ月間にわたり、私に苦痛と憤懣(ふんまん)の、声にならない叫びを呼び覚ますもの」と表明。カナダに「初めて欧州から入植者たちが到着した時、現地にあったさまざまな文化、伝統、霊性と肥沃(ひよく)な出会いを発展させていくための大きな機会があった」と指摘した上で、彼らが施行したのは「先住民の同化政策」であり、「寄宿学校制度を通して、彼ら(先住民)の言語、文化が踏みにじられ、抹消され、多くの先住民の子供たちが身体的、言語的、心理的、霊的に虐待を受けた」と、カナダ政府、欧州キリスト教会の植民地主義を非難した。

また、「寄宿学校制度の全体的な成果は、破滅的なもの」であり、「キリスト教の信仰という観点から判断しても、壊滅的な過ちであり、キリストの福音とは相いれないもの」と糾弾。「許しを乞う」ことは、「到着点ではなく、最初の一歩に過ぎない」と述べ、「この(癒やしと和解の長い)プロセスで重要な部分は、過去の(過ちの)真相を追求し、寄宿学校の生存者たちが、強要された衝撃から立ち直り、癒やしへの道を歩んでいけるよう支えることだ」と明示した。これを通し、「キリスト教徒と、この地の社会が、先住民のアイデンティティーと体験を尊重していく能力を培っていくことができるように」とも願った。

最後に、教皇は、「最初の訪問地において私は、過去の記憶に焦点を当てることを望んだ。今日、この地において、過去を追憶し、あなたたちと共に泣き、沈黙のうちに地平を見つめ、墓標の前で祈った。この沈黙が、全ての人々の苦を心のうちに刻んでいくことができますように」とスピーチを結んだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)