バチカンから見た世界(117) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
後退する民主主義に教皇が警鐘
キプロス島訪問を終えたローマ教皇フランシスコは12月4日にギリシャの首都アテネに到着した。大統領府でカテリナ・サケラロプル大統領、キリアコス・ミツォタキス首相と懇談した後、政府関係者、市民社会の代表者、外交団らと面会した席上、スピーチを行った。
この中で、西洋文明と民主主義が発祥したとされるギリシャから、現代世界において後退している「超越(神)の必要性と民主主義」について警鐘を鳴らした。ギリシャ文明の象徴であるオリンポス山、アクロポリス、アトス山が見上げるように高く立っているのは、人間が「真に人間である」ために超越(天、神)を必要としていることを示唆していると発言。「この地(ギリシャ)から発展していった西洋文明は、今日、数限りない世俗的な欲求と非人格的な消費主義に由来する、飽くことのない欲望の罠(わな)に陥っている」と指摘した上で、「この地が、無限、存在の美しさ、信仰の喜びに心を動かされるようにと誘(いざな)っている」と語った。
また、哲学者のソクラテス、アリストテレスの言葉を紹介しながら、この地で「(人間が)自国だけでなく、世界の市民であること」「人間が“政治的動物”であること」を自覚したと強調。それにより、人間は共同体の一部であることを発見し、他者を隷属者ではなく市民として認め、共に都市(ポリス)を構成したことで民主主義が生まれたとし、「民主主義の揺り籠が、数千年後には民主主義者たちの大きな家となり、欧州連合(EU)や多くの民の平和と友愛に向けた夢を代表するようになった」と述べた。
一方、欧州大陸のみならず、世界各地で「民主主義の後退」という憂慮すべき問題が見受けられると指摘。民主主義は、全ての人の参加を要請するため、(議論を重ねるなどといった)労力と忍耐を要する複雑なプロセスを経るものであるが、それに比べて世界では、「専制主義の効率の良さ」「ポピュリズムが示す安易な安堵(あんど)感」が魅力的に見えているようだと警告した。また、多くの人々は「自らの安定性を失うことを憂慮し、また、消費主義、倦怠(けんたい)感、不満にまひさせられて、民主主義に対する“懐疑主義”に陥っている」と訴えた。
その上で教皇は、全ての人の政治参加が「共通の目的」を実現する手段にとどまらず、人間の本性といえる「社会的存在や、相互扶助に基づいて生きることにつながる」と説明。人々の政治への失望、自身のアイデンティティー喪失への恐れ、官僚主義などからくる民主主義への懐疑は、ポピュリストのような狂信的な人気の追求、メディアの脚光への渇望、実現不可能な公約宣言、抽象的なイデオロギーによる支配との癒着などでは改善されず、「『良き政治』が唯一の解決策になる」と強調した。
教皇が説く「良き政治」とは、「共通善(公共の利益)の美術」と表現されるもので、「社会の中で、弱い立場にある人に対し、特別で優先的な注意を払う政治」といえる。“民主”の根幹を構築するには、“より弱き人”の政治参加から始められなければならないという論法だ。
さらに、教皇は、ドイツの政治家コンラート・アデナウアー、フランスの政治家ロベール・シューマンと共に、欧州統一の祖と呼ばれるイタリアの政治家アルチーデ・デガスペリの言葉を引用。「誰が左翼、右翼へ行くかが盛んに論議されているが、重要なのは前進することだ。前進するとは、社会正義へ向けて歩むことだ」と述べ、民主主義とは(一方に)加担することではなく、「社会正義実現へ向けて参加する」ことこそが重要だと説いた。そして、「国家主義による過度の要求に締めつけられない、多国間主義を通した平和への道を開拓していく国際社会」であるには、この人々の政治参加こそが必要であると訴えた。
民主主義に関する教皇の発言から間もない12月9日、バイデン米大統領は、111の国と地域の指導者に呼びかけ、初の試みとなる「民主主義サミット」をオンラインで開催した。同サミットは、世界レベルで民主主義を強化し、専制主義に対抗していくことが目的。同大統領は、教皇と同じく「世界での専制主義勢力による影響の拡大」「民主主義の後退」に対する懸念を表した。
なお、教皇は同5日、レスボス島難民センターを訪問した。同難民センターの訪問は、今回で2回目となる。教皇は命がけで地中海を渡ってきた難民たちを前に、「数千年間にわたり、さまざまな民族と遠くの土地を結びつけてきた地中海が、墓標のない冷たい墓地になりつつある」と述べ、難民への支援がない現状を非難。「多くの文明の揺り籠だったこの大きな水域が、今は死の水面(みなも)となってしまった」と憂い、「兄弟姉妹たちよ、この“文明の難破”を止めよう」と呼びかけた。