私の“即是道場”(1)

新型コロナウイルスの感染を防止するため、多くの人が外出を自粛し、これまでと違った生活を送っています。このほど、読者の皆さまに、暮らしや職場での工夫、日々の生活や仕事の中で得た気づき、助け合いや支え合いのエピソードを『私の“即是道場”』をテーマに募集しました。頂いた投稿の中から、今回は、茂原教会の「妻母嫁わたし」さん、世田谷教会の「E.N」さんの2人の投稿を紹介します。(タイトルは編集部)

※「即是道場」(この処は即ち是れ道場なり=このところはすなわちこれどうじょうなり)とは、自分が居(い)る所、住んでいる所、身を置く所、すべてが道場であるという意味です。法華経の「如来神力品」にある言葉です

優しい夫、家族の思いを知って

主人の出勤を「行ってらっしゃい」と言って見送る。お義母(かあ)さんとゆっくりお茶を飲み会話する。子供や主人に「今日何が食べたい?」と聞いたりして、楽しんで食事を作る。庭に花を植える。近所の人と立ち話をする。

今まで、当たり前にできそうで、できなかったことです。

教会のお役で、主人より早く家を出ることが多かったのですが、文句を言われることはありませんでした。家族には、「本当にいつもありがとう」と感謝していました。今回の外出自粛で、家族みんなが、私ができない部分を見て見ぬふりをしてくれていたことに気づきました。

毎朝の犬の散歩は、主人に任せっきりでしたが、私も一緒に行くようになりました。ある日、優しい主人がふと、「コロナは落ち着いてほしいけど、以前と違って、こうして夫婦でゆっくり過ごせる時間があるのがいいな」とつぶやきました。私は言葉が出ませんでした。けれど、涙がこぼれました……。

私の「即是道場」とは、大好きな立正佼成会の会員でありつつ、家庭にいて、地域社会の方々と仲良く触れ合え、普通に働けて、今この時を、大事に大事に、心から「ありがとうございます」と感謝して過ごす瞬間をたくさん持つことです。

今年の『年頭法話』には、「自分が居る所、住んでいる所、身を置く所、すべてが道場である」とありました。教えて頂いているお言葉一つ一つが身に染みて有り難いです。

(妻母嫁わたし・46歳女性・茂原教会)

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