立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

一乗宝塔と桜

3月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

自らのいのちの重さ

「生きがい」という言葉があります。人によってさまざまだと思いますが、その中でも本当の生きがいとは何でしょう。

仏教の教える「人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し」という言葉の中に全てが込められています。「ありがとう」という言葉を言うことができる、そういう人間に生まれてきたことこそが、本当の生きがいです。

もちろん、「いろいろなことに恵まれて、幸せです」ということもあると思います。しかし最後に、「本当に有り難い」と実感を持って言えるのは、今、人間としていのちを頂いているということです。いのちは、有ること難し。「やがて死すべきものの、いま生命あるは有難し」――滅多にないこと、有ることは本当に難しいこと、それが実現されているということです。

仏教は、そうした生きがいの根源の尊さ、いのちの根源の尊さを教えています。私たちは、そうした仏さまのみ教えに巡り合うことができたわけですから、それはまた最大の感謝と言うことができます。
(3月1日)

いつも新鮮な気持ちで

今年は、教団の八十周年でございます。教団と同い年の私も、八十を迎えました。そうしましたら、こういう句に遇いました。

八十(はちじゅう)は 老(おい)の序の口 冬若葉

これは、新劇の俳優・島田正吾さんが、傘寿(さんじゅ)の時に詠んだ句だそうです。「序の口」とは、相撲の番付で一番下の階級のことですが、八十歳は、まだ「序の口」だというのです。ですから、これから「序の口」として頑張りたいと思っております。

日本では、百歳を超えている方が、六万人を超えます。本当に八十は、文字通り「序の口」かな、と。しかし、八十ともなると、やはり相当長く生きてきたな、これからどれくらい生きられるのだろうか、とも思います。

そういうことを通して、初めて私たちは、今日一日の有り難さをはっきりと分からせて頂くことができます。だんだんと年を取ることによって、そうしたことがはっきりと分からせて頂けます。
(3月15日)

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