立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

画・茨木 祥之

地獄と極楽

あるお坊さんの話があります。ある時、地獄と極楽の夢を見たというのです。

はじめに地獄に行ったのですが、食卓に山海(さんかい)の珍味が溢(あふ)れんばかりに載っていました。長いお箸が銘々(めいめい)の前に置いてあり、みんな大喜びで食べようとします。ところがお箸が長くて、自分の口に入りません。1メートルもあったのでしょうか、あまりに長くて、ご馳走(ちそう)がありながら食べられないのです。焦れば焦るほど、ますます口に入らず、次第にみんな痩(や)せさらばえていく状態であったといいます。

次に極楽に行きました。ご馳走は、地獄ほどではありませんでしたが、みんな長い箸を持っていても、ふくよかに肥(こ)えていた、太っていたというのです。どういうわけかと眺(なが)めていると、長い箸を使い、(食べ物を)目の前の人の口に運んでいました。相手のために、長い箸を使って、ご馳走をしていたというのです。

これは、あくまでも比喩、譬(たと)え話ですが、こうしたことが私たちの日常生活にはあります。私たちの自我からもたらされる、いろいろな争いが人間世界にはたくさんあります。

私たちは、仏さまの教えを頂いて、読経供養をするとか、いろいろな行をしますが、それは、自己の生命、自己のいのちの尊さを知ることが目的です。そして、自分のいのちの尊さを知ると、天地同根、万物一体、自分だけが生きているのではなく、人も自然界も、あらゆるものが一つの大きないのちなのだということに気づくことができます。

私たち一人ひとりの人間の自我、エゴが、地球全体をけがす、汚してしまうわけですが、そういう人間でありながら己の尊厳と申しますか、尊いいのちを頂いたことに本当に気づき、自覚すれば、ものの道理も分かってきます。

長い箸を使っている時、人に差し上げることで、互いにご馳走を頂ける――そのようになることが大切です。
(3月15日)