山田惠諦第二百五十三世天台座主の「二十五回忌偲ぶ会」が京都で 260人が参列し、光祥次代会長がスピーチ

1994年に98歳で遷化した山田惠諦第二百五十三世天台座主の「二十五回忌偲(しの)ぶ会」が2月12日、京都市内のホテルで行われた。山田座主から指導や教育を受けた僧侶、親交のあった宗教者や識者260人が参列。立正佼成会から庭野光祥次代会長が出席した。

山田座主は、1895年に兵庫県に生まれた。10歳で得度し、14歳で比叡山延暦寺に入り、1974年、天台座主に就任した。日本仏教の国際化に努め、宗教協力による世界平和の実現に尽力。87年には、国内外の宗教者を招いて「比叡山宗教サミット」を開催した。その行動から「東洋の聖者」と称され、89年に第6回庭野平和賞が贈呈された。

あいさつに立つ森川宏映第二百五十七世天台座主

偲ぶ会では、森川宏映第二百五十七世天台座主が登壇した。森川座主は、冒頭、師匠である父親が山田座主と同年齢で、家族ぐるみの交際があったことを懐かしみながら、延暦寺での山田座主の経歴と功績を紹介。同宗教サミット開催の経緯に触れ、決断力と実行力に優れた人柄をたたえた。その上で、「今日の宗教界を取り巻く状況は決して好ましくない。今ここに山田お座主猊下がおられたら、どのような結論を出されるかと、それをのみ毎日考えている」と述べた。

次に、天台宗に得度し、山田座主から法衣を授かった武者小路千家(茶道)の千宗屋家元後嗣による献茶が行われ、妙法院門跡の杉谷義純門主、京都産業大学の吉澤健吉教授が挨拶。両氏は、山田座主から受けた薫陶を披歴し、慈悲心にあふれた人柄を偲んだ。

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