「法華三部経」の要点
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)
序品第一(じょほんだいいち)
お釈迦さまは深い三昧(さんまい)に入り、眉間(みけん)から光を放たれ、さまざまな不思議な出来事をお見せになります。弥勒(みろく)菩薩からその理由について尋ねられた文殊(もんじゅ)菩薩は、これからいよいよ『妙法蓮華経』が説かれるのだと答えます。
伝記によると、お釈迦さまの肉体は、病気と老齢のために、非常に衰弱しておられたということです。それにもかかわらず、この広大な、意味の深い説法をお始めになり、しかも、それがまことに力強い、明るい、積極的な、真実の教え『妙法蓮華経』だったわけですから、その悟りの深さとともに、精神力の偉大さにも、本当に頭が下がります。もとよりその精神力が、後に残される衆生のためを思われる大慈悲心から出たものであることも、忘れてはならないことです。この品の読誦(どくじゅ)を通じて、一心に教えを求める心を起こしましょう。
方便品第二(ほうべんぽんだいに)
方便とは、相手の機根や環境、時代にふさわしい教化(きょうけ)の手段のことです。この品のポイントは、方便が、深遠な仏の智慧(ちえ)から発せられたものであり、しかも、「すべての人に仏と同じ智慧を得させ、幸せになってもらいたい」という願いから出ていることが明らかになる点です。
すべてのものごとの実相がどのようになっているのかを、お釈迦さまは「十如是(じゅうにょぜ)」の教えによって説き示されます。そして、さまざまな方便も、その真理から導き出された尊い教えなのだとたたえられます。
さらに、仏が方便を使っていろいろな説き方をするのも、実は、ただ一つの大事を説くためだと述べられます。それは、「開示悟入(かいじごにゅう)」、つまり、仏知見を「開かせ」「示し」「悟らせ」「入らせる」という順序によって、「人間は何のために生きるのかを本当にわきまえる」、その仏の智慧が得られるように、すべての人を導いてあげたいということです。言い換えれば、すべての人に「自分も仏になれるのだ」という悟りを得させるためなのです。
そして最後に、「ご法を習学して大いなる悦(よろこ)びを覚えるならば、必ず私たちも仏になれると自ら悟るでしょう」と説かれています。「ご法の習学」とは、仏の教えを正しく会得(えとく)し、それを自分の日常生活と照らし合わせて考え、このことを絶えず繰り返すことです。
譬諭品第三(ひゆほんだいさん)
「方便品」の教えを聞き、舎利弗(しゃりほつ)は「至らないと思い込んでいた自分も、必ず仏になれる」と大喜びしました。
お釈迦さまは舎利弗の気づきが本物であることを認められ、「修行を続けていけば、あなたは必ず仏の境地に達することができる」と保証されます。そして、まだ当惑している多くの人々に「三車火宅(さんしゃかたく)の譬(たと)え」を通して、すべての人を仏の境地にまで導きたいという仏の願い――一仏乗(いちぶつじょう)の教えを説かれます。
荒れ果てた家〈煩悩(ぼんのう)の世界〉で火事〈人生の苦〉が起こります。しかし、子どもたち〈私たち〉は「我(が)」にとらわれ火事に気づきません。父の長者〈仏〉は、子どもたちの好きな三種類のおもちゃ〈羊車(ようしゃ)・鹿車(ろくしゃ)・牛車(ごしゃ)=方便の教え〉を示し、火宅から子どもたち自身で抜け出すように導きました。そして子どもたちに等しく大白牛車(だいびゃくごしゃ)〈一仏乗の教え〉を与えたのです。
私たちは皆、仏の悟りを得ることができる――これこそ『法華経』の大精神を表しています。





