第49回生誕地まつり 「ただいま 十日町!」 庭野開祖生誕の地で心ひとつに市中行進(動画あり)

今年は万灯を復活させた教会が目立った

ほとばしる情熱で万灯が復活

今年、壮年部員による万灯行進が熱い。コロナ禍で休止していた壮年部活動が再び活発化し、生誕地まつりへの参加を機に万灯を復活させた教会が多く見られた。

当初は、どの教会もコロナ禍で宿直がなくなったことや、部員の高齢化によって万灯行進のメンバーがそろわなかったという。しかし、対面での夜間法座や交流会などで腹を割って話し合う機会が増え、「万灯を担ぎたい」という熱心な声がいくつも上がってきた。手どりにも積極的に取り組んで仲間の輪を広げ、東村山、八王子、上越教会などが久しぶりに万灯行進を披露した。

この中で、所沢教会の壮年部員たちは今年、7年ぶりに万灯を担いだ。昨年、万灯の人数がそろわずメンバーは鳴り物で参加。行進後、万灯を出せなかった悔しさが残り、翌年に向けて壮年部の思いが一つになった。部員のリストを作って手どりに回り、一人ひとりを大切にした触れ合いを重ね、メンバーは20歳から73歳まで総勢18人に。祈願供養で6基の万灯を灯(とも)し、合同練習に励んだ。

当日、トンボが飛び交う秋空の中、白い法被に身を包んだ参加者たち。未経験者が多いことを考慮し、三重の万灯を担ぎ、息をそろえて行進した。

万灯責任者のIさん(60)は、「皆さんが週3回の練習に必ず来てくれて、若い人たちも一生懸命に取り組んでくれました。来年は五重の万灯を担ぎたい」と語った。

新潟教会は昨年、他教会から借りた万灯神輿(みこし)で同まつりに出場した。しかし、万灯責任者のHさん(62)の胸には、「新潟教会の万灯をもう一度」との思いが強く湧いた。

Hさんは40年前、前責任者のMさん(67)に導かれて以来、長年万灯を担いできた。10年前には、Mさんから責任者を託された。今回、Mさんと一緒に手どりに励み、万灯への熱意を伝えると、26人のメンバーが集ってくれた。当日、苦楽を共にしたMさんとの行進に、Hさんは胸が熱くなった。

「Mさんの存在が、くじけそうになるたび、いつも奮い立たせてくれました。このメンバーで今年、行進できたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と萩野さんは話した。

岡崎 『マトイをやりたい』 一人の熱意が広がり15年ぶりに行進

午前11時半過ぎ、岡崎教会の会員103人が市中行進のスタート地点に立った。「大丈夫、いけるよ!」という雄叫(おたけ)びとともに行進が始まる。2基のマトイ、鳴り物、万灯、踊りと続き、皆が声を張り上げてひときわ賑(にぎ)やかに観客を楽しませた。

同教会の市中行進は15年ぶり。きっかけは、「マトイをやりたい」と声を上げたMさん(26)=青年女子部長=の一言だ。Mさんが1歳の時、父・Sさんは病気で他界。Mさんは、マトイを振るSさんの写真を経典にいつも挟んでおり、サンガから父親の話を聞くうちに自身もマトイに興味が湧いた。コロナ禍を経て生誕地まつりが再開した一昨年、青年部の仲間に呼びかけ、3人でマトイの練習を始めた。

しかし、マトイ未経験の中での練習は暗中模索だった。心配して様子を見に来た経験者の壮年部員から振り方を教わり、慣れないマトイに手が豆だらけになっても一心に練習を重ねた。

昨年、Mさんたちの姿を見ていた会員から「自分も行進したい」という声が続々と上がり始め、鳴り物や踊りの練習が始まった。その輪は壮年部員にも広がり、「教会が行進に参加するなら万灯を出さないわけにはいかない」と、声をかけ合い23人が結集。教会全体が一丸となって懸命に練習に取り組んだ。

迎えた当日、参加者は約40分間、活気をみなぎらせて十日町市の街路を練り歩いた。終了後、復活のきっかけをつくったMさんの元にサンガが駆け寄り、肩を抱き合って行進を達成できた喜びと感動を味わった。

感涙する仲間を背にMさんは、「3年の努力が報われた行進でした。道中、不思議なことに父のパワーを感じました。両親が佼成会の活動を続けてくれたおかげで、私の一言についてきてくれた素敵な仲間に出会えました。父と母にありがとうって伝えたい」と穏やかな表情で話した。