戦後80年 未来に込めた思い 各地の平和学習会

長崎県原爆落下中心地公園爆心地公園「第53回原爆殉難者慰霊祭」で祈りを捧げる北広島教会学生部員

戦後80年が経った。長い年月とともに戦争を体験した世代は減少し、戦禍の記憶と教訓の風化が叫ばれて久しい。8月15日の「終戦の日」を中心に、立正佼成会の全国各教会では、平和への意識を高め、いのちの尊さを見つめる取り組みが行われた。熊谷、市川、三鷹、上田、北広島の5教会の活動と合わせて参加者の声を紹介する。

熊谷教会 熊谷・星川空襲犠牲者慰霊供養

昭和天皇による「終戦の詔勅」(玉音放送)の約12時間前に空襲で焦土と化した埼玉県熊谷市。その犠牲者に慰霊の誠を捧げるため、熊谷教会は平成6年から地元での慰霊供養を続けている。3年前からは少年、学生部員らも参加。今年8月10日には、市内にある「戦災者慰霊の女神」像の前と教会道場で読経供養を行った。また、当時を知るための映像視聴や空襲当事者の話を聞くなどして平和の大切さをかみしめ合った。

熊谷市内の「戦災者慰霊の女神」像前で行われた読経供養

Oさん(62)

私の母は、15歳の時に熊谷空襲に遭いました。後年に聞いた母の話では、ごう音に驚いて家の外に出ると、低空飛行するB29が焼夷(しょうい)弾を落とした後に機銃掃射を浴びせてきて、火の海の中を家族9人で熊谷駅の方へ必死に逃げたそうです。自宅は奇跡的に無事でしたが、周辺は焼け野原と化し、帰路では多くのご遺体を目にしたといいます。

母から聞いた戦争体験を今も覚えているのは、子どもながらに戦争の恐ろしさを感じたからだと思います。同時に、繰り返し聞く中で私の平和に対する思いは強くなっていき、20年以上にわたり「熊谷明るい社会づくりの会」に携わり、空襲の犠牲者を追悼する「星川とうろう流し」の運営を手伝うなどもしてきました。

今回の慰霊供養のように、子どもたちに当時を伝えるのは大切だと感じます。命をつないでくれた感謝とともに、母の戦争体験を語り継いでいきたいです。

Hさん(20)

これまで、妹(16)と一緒に教会の平和学習や慰霊供養などに参加してきました。実際に空襲に遭った地に立ち、当時に思いを馳(は)せると言葉を失います。妹も、同世代の子たちが自由に遊べず厳しい生活を強いられてきたことに胸を痛めていました。今回、私は慰霊供養に参加し、当時を知る機会の少ない若者世代がかつての戦争を知り、過去の出来事として捉えないことの重要性を感じました。このような機会は、犠牲者の追悼を通して平和な未来をどのように創造していくかを考えることにもつながります。

一方で、「平和とは何だろう」と考えた時、戦争がない世界だけではなく、貧困や自然災害など多面的な視点で平和を捉え、その実現に向けて行動する人が増えることも大切だと思います。簡単な問いではないからこそ、多くの人と語らい、平和を想像し、創造していきたいです。

参加者は映像の視聴を通じて空襲の惨禍を知った

Iさん(85)

各支部が包括地域内の災害、戦争犠牲者の慰霊供養を始めた平成6年、支部長を務めていた熊谷東支部では、熊谷空襲の犠牲者に慰霊の誠を捧げることが決まりました。

その後、支部の皆さんと協力し、犠牲者266人全員のお戒名をつけ、浄書させて頂き、市内にある「戦災者慰霊の女神」像の前での慰霊供養に臨みました。私が支部長を退任してからも毎年行われ、31年にわたりご供養を続けてくださっていることに感謝が湧きます。

今も犠牲者の無念を思うと胸が潰(つぶ)れ、「紛争を繰り返してはいけない」と強く思います。同時に、自分の心の中にも怒りや憎しみといった“争いの種”があることに気づき、心を整えて、周囲の方々と温かく触れ合いたいと気持ちを新たにします。現在は他県に住むため当日は参加できませんが、皆さんと同じ思いで平和を祈らせて頂きます。

市川教会 広島平和学習会

7月20日、市川教会学生部は、広島平和記念公園内で平和学習会を実施。午前中に原爆死没者慰霊碑などを巡った後に広島平和記念資料館を見学し、午後には国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で被爆体験者による証言講話を聴いて、平和の尊さをかみしめた。その後、同公園内の原爆供養塔の前で、献花・献鶴と読経供養を行った。

広島平和記念公園内の原爆供養塔の前で、献花・献鶴と読経供養を行った

Tさん(12)

平和記念資料館を初めて見学しました。原子爆弾が落とされる直前の人々の日常や被爆して変わり果てた姿を表す画像、持ち主の無念を物語る遺品などの展示資料を見て背筋が凍りつきました。犠牲者の中には中学1年生の僕と同世代の生徒も多くいたと知り、原爆の恐ろしさが胸に迫ります。〈もしこの先、日本で核戦争が起きて僕が被爆したら、広島で被爆された方々のように放射能の恐怖におびえ続けるのか〉。絶望的な感情が頭をよぎりました。

平和学習を終えて、広島や長崎での平和式典が近づくと、心境が変化しました。戦争を起こすのも止めるのも人間だから、希望はあるはずだと。戦争の怖さとともに、平和は皆でつくるもので、核兵器の廃絶が絶対に必要だと学びました。多くの友達に伝え続けようと思います。

Yさん(19)

私には、ウクライナ人の祖母がいる同い年の友人がいます。ロシア軍のウクライナ侵攻が突然始まった時、彼女はウクライナに住む祖母の身を案じて顔面蒼白(そうはく)に。その様子から知らぬ間に戦争に突入する怖さや不条理を感じ、世界から戦争をなくしたいと願うようになりました。

原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の文字を見ると、核兵器の使用という過ちが再発しかねない世界の現状を考え、犠牲者の魂に申し訳なく思います。でも、この世の全てはつながり合って生かされています。出会う相手に思いやりと感謝の心で触れ合い、身近な争いをなくして互いの心を平和にする。そんな人間関係を世界にまで築けたら、核や戦争の必要性を誰も感じなくなると信じています。まずは私から、支えてくれる両親と二人の兄に真心で接していきます。

参加者は被爆体験者から「証言講話」を聴き、平和の尊さをかみしめた

Tさん(22)

世界で長引く紛争や各国の軍備拡張に関するニュースを見るたびに危機感を覚え、平和の実現が遠いているように感じます。

平和学習の中で自らの被爆体験を話された河野キヨ美さん(94)は、「言葉には人の心を動かす強い力がある」「差別や誹謗(ひぼう)中傷は絶対にやめて、相手を尊重する優しい人になってね。皆で連帯して声を上げ、希望をもって平和をつくってほしい」と伝えてくださいました。

世界中の人々が地球という大きないのちに抱かれた尊い存在だからこそ、互いを支え合えると私は思います。河野さんに教わったことを胸に、愚かな争いで人命を奪い合うのではなく、対話を通して違いを受け入れ、理解し合うことでしか平和は実現できないと、言葉の持つ力を信じ、さまざまな手段を使い伝えていきます。そして、将来はジャーナリストになり、世界各地を取材して記事にし、平和の大切さを真剣に伝え広めることが今の私の夢です。

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