共に生きる世界、社会をつくるには 識者の提言
あらゆる所で格差と分断が… 求められる支え合う心
作家 石井光太氏
女性と若者の自殺の増加、不登校児童の数が19万人超、1年以上の長期失業者18万人増……。
2021年は、世界的な空前の株価上昇が報じられる一方で、こうした絶望的な実態が次々と明らかになった一年だった。これが示すのは、社会のいたるところで格差というより分断とも呼ぶべき亀裂が生じている現実だ。
コロナ禍が日本の分断を決定づけたのは否定しがたい事実だろう。以前から格差はあったが、虐待する親の下で育った女性が家から逃げるために夜の街で生きたり、病気や障害のある人が非正規の仕事に就いたり、シングルマザーが二つも三つも仕事を掛け持ちしたりと、多くの人がギリギリのところで生活を維持してきた。だが、コロナ禍によって社会が大きく揺さぶられたことで、そういう人たちがこぼれ落ちたのだ。
格差や分断の話になると、持てる者と持たざる者の対比がよく行われる。私自身も講演を依頼されて高校などへ行くと、それを非常に強く感じる。
地方の中高一貫の進学校では、親の3割が医者で、生徒の3~4割が医学部に進学するということがある。学生たちは早いうちからグローバル人材教育を受け、医療以外であれば、国連に勤務して国際貢献したいとか、イノベーティブなビジネスで世界を動かしたいと目標を掲げる。
一方、課題集中校と呼ばれる底辺の学校へ行けば、3割が元不登校児、3割が発達障害、3割が日本語の不得意な外国人、そして全生徒の2割が生活保護といったことが普通だ。彼らは社会で希望を持って活躍する大人に会ったことがないため、働くどころか、生きることにさえ希望を抱けない。
今、政治の世界で語られている「富の分配」とは、所得格差を縮めて分断を埋めようというものだ。だが、一時給付金を出したり、最低賃金を数十円上げたりしたところで、一朝一夕に縮まるだろうか。
先に挙げた例からもわかるように、社会の分断は所得格差だけでなく、家庭格差、福祉格差、男女格差など複数の要因から生じている。それを踏まえれば、富の分配だけでは十分ではなく、多様な人たちが交じり合い、お互いを支え合ったり、心に栄養を与え合ったりできる社会構築を目指す必要がある。
石川県に、「シェア金沢」という人工の小さな町がある。中心に障害児入所施設、サービス付き高齢者向け住宅、学生向け住宅が混在し、敷地内には温泉施設、カフェ、キッチンスタジオなどが並ぶ。
これによって、障害児入所施設の子供たちは大学生や高齢者と家族のように付き合うことができる。大学生は家賃を安くしてもらう代わりにボランティア活動を行う。また、温泉やレストランでは障害者が、カフェでは高齢者が働いているので、一般のお客さんとかかわる機会も多い。ハロウィンなどのイベントでは全員が一緒になって参加する。一般社会では交じり合うことのない人たちが、ここでは一つになって町自体をより良いものにしていけるのだ。
私は分断を埋めるには心の交流が不可欠だと思っている。同じ社会に暮らしながら、まったく別の生活をするのではなく、違う立場の人同士がかかわり合い、自分たちが同じ一つの社会に生きていることを自覚し、みんなでそれを良いものにしようとする。
今の若い世代は、経済的な豊かさより、やりがいを求める傾向にある。多種多様な人たちが格差の垣根を越えて、一つのことに取り組める可能性はこれまで以上に高い。
シェア金沢のような人工の町でなくても、地方民と移住者が共同で行う町おこし、健常者と障害者が共に行うゲームイベント、高齢者と若者が交わる文化の継承など、交流の場はいくらでも設けられる。
国による富の分配ができることには限界がある。だからこそ、アフターコロナの時代には、やりがいという新しい価値観の下であらゆる人が交わり、一緒になって社会をより良いものにしていく取り組みが重要になってくるのではないだろうか。(寄稿)