心ひとつに――東日本大震災から10年 近藤雅則仙台教会長に聞く
震災の傷は今も “心の復興”へ「まず人さま」の実践
今年、あの東日本大震災から10年の節目を迎えます。千年に一度といわれた未曽有の大災害は、私たちのこれまでの自然災害の認識をはるかに超えたものでした。地元紙の「河北新報」には、被害状況が今でも毎日掲載されています。2月11日の朝刊では、宮城県内の死者9543人、行方不明者1215人となっていて、東日本大震災が現在進行形であることを物語っているように感じます。
私は、2015年に仙台教会に赴任しました。ですから、大震災当時のことは、テレビで見たり、会員さんから聞いたりして理解しているだけです。当時の様子を次のように聞きました。
震災発生直後から数カ月間にわたり、当時の渡邊佳政教会長さんをはじめ教会幹部の皆さんが教会に泊まり込み、会員の安否確認や炊き出しなどの被災者支援を続けられたそうです。その中には、自ら被災しながらも参加された会員さんもいて、佼成会の“菩薩力”のすごさに感動しました。
また、渡邊教会長さんは、被災地10カ所に慰霊供養塔を建立し、会員のみならず、全ての犠牲者の慰霊供養をされたとのことです。宗教者として尊い行動だと思いました。
震災翌々年の2013年から七回忌にあたる17年まで、毎年1500人規模の「復興親子団参」が続けられました。大聖堂のご本尊の前で、亡くなられた方の慰霊供養をさせて頂きたいという切実な思いと、復興に向けた精進を誓うという願いからです。この団参への取り組みは、大震災から立ち上がる大きな原動力につながったように思います。
大震災から10年が経過し、建物や道路など“物の復興”は大きく進んだと感じます。今後は“心の復興”が重要です。宮城県の村井嘉浩知事さんは、「心の復興は、宗教者の皆さんの力に期待しています」と言われますが、そこにはとても大事な意味があると受けとめています。
“心の復興”のためには、被災された人に寄り添い、温かい支援をしていくことが不可欠です。さらに、つらい体験をした人も、何か周囲の人に思いやりを示していくことが大切だと思います。それによって、自身も立ち直り、生きる希望を得ることができるからです。
常識的には、傷が癒え、元気を取り戻してから、ようやく他人の心配ができると思われます。しかし、「まず人さま」という言葉の通り、苦を抱えながらも他の人に手を差し伸べていく――そのことで、自身も救われていくのです。それは、大勢の方が共に救われて発展してきた佼成会の歴史そのものです。
昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で教会が一時閉鎖されました。多くの会員さんは最初、「自宅で過ごす時間が増えて有り難い」と感じたようです。しかし、やがて「何か気持ちがモヤモヤしてきた」「元気がなくなってきた」と感じたそうです。「人のために動くことが、自分を元気にしてくれることを実感した」と話されていました。
コロナ禍で自粛生活の中ですが、誰かのためにできることにチャレンジする。きっと、何かできることがあるはずです。例えば気になる身近な人に一言声をかけてみる、手紙を書いてみる。そんな小さなことも“心の復興”につながっているように感じます。