寄稿「家族の絆は期間限定」 作家・南木佳士
今年で七十歳になります。
産んでくれた母は三歳のとき肺結核で他界しました。再婚して家を出た婿養子の父は鉄鉱山の事務職でしたが、そこに行くのを嫌がった孫を哀れんだ祖母が養育を引き受けてくれました。姉も一緒でした。父からのわずかな仕送りはありましたが、祖母は自給自足に近い生活を営んでいました。米を銭だして買うようになっちゃあおしめえだ、というのが口癖でした。母は女子師範学校を出た小学校の教師でしたから、祖母も孫がおなじ道を歩むのを望んでいたようです。
しかし、鉱山が閉山になり、東京に出た父に誘われるまま中学二年になるとき祖母のもとを去りました。上州の山村で一生を終えるのは嫌だったからです。それから六年間、父と継母と狭い社宅で暮らし、秋田の医学校に行き、卒業してすぐに祖母の住む家にいちばん近い信州の研修指定病院に就職しました。
医者になって二年目に祖母が家で倒れ、そのまま逝きました。信州から死亡診断書を持ってかけつけ、やせ衰えた胸に聴診器を当てて聴こえるはずのない心音を探しているうちに大量の涙が湧いてきました。今後はだれが死んでもこれほどの涙は出ないだろうな、と明確に自覚しつつ泣いていました。その後、父、姉、継母の順で先立ちました。
四十歳前後からうつ病になりましたので、息子二人は覇気のない父親を見て育ち、大学進学とともに家を出て、いまではそれぞれ一家を構えています。いつまでも続くと思っていた家族の関係は、こうしてふりかえってみると期間限定だったのだとよくわかります。ならばもっと大事にすればよかった。そう気づいたのはつい最近のことで、老いてきた妻の家事を手伝うようになったりしています。
家族の絆は期間限定。楽しくても、うっとうしくても必ず期間限定。だから大切に、と主張する資格はありません。でも、これがからだの芯にしみ込んだ生きる基本です。
プロフィル
なぎ・けいし 1951年、群馬県生まれ。医師であり、小説家。81年、難民救援医療団に加わり、タイ・カンボジア国境に赴く中、「破水」で文學界新人賞受賞を知る。89年、「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。『草すべり その他の短篇』で泉鏡花文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。