【特別インタビュー 第37回庭野平和賞受賞者 法輪師】 仏教への目覚め、真の平和を実現するために

欲を離れ真実を探究する

庭野 他者への慈悲の実践によって得られるものは何でしょうか。

法輪 生きがいを持ち、喜びを得ることができます。さらに、各人が自分の存在に自負心を持てることです。

人助けをした時、相手のためになることはもちろんですが、助けた側が自らの存在価値を実感できます。それは大きな喜びであり、人を助けることは、実は自分を愛する一番の方法なのです。

また、浄土会では、出会う方がどんな問題を抱えていても、「正しい智慧(ちえ)を身につければ、あなたは必ず幸せになれます」とお伝えしています。仏さまは、「全ての人は仏である」「誰もが仏になるための仏性を具(そな)えている」と説かれました。どの人も幸せになる権利があります。しかし、なぜ多くの人が幸せを求めながら、幸せを得ることができないのでしょうか。それは、自らの欲望を満たすことが幸せだと勘違いしているからです。

本当の幸せは、欲から離れることで得られます。そして、苦しみから抜け出し、幸せになった人は、他の人にも自分と同じように幸せになってほしいと思うようになりますから、浄土会ではその思いを原動力として、メンバーが自発的に奉仕活動に参加する循環ができています。

庭野 法輪師の対機説法会「即問即説」は韓国はもとより、海外でも人気です。大勢の市民に仏教を伝える上で大切にしていることはありますか。

法輪 人々の苦はさまざまですが、原因は共通していて、「思い通りにしたい」という欲望です。そうした人たちに仏教を理解してもらうには、教えや仏教用語をそのまま伝えるのではなく、普段使っている言葉で分かりやすく伝えることに重きを置いています。例えば、「仏さまに帰依する」とは、「私も仏になれる、という人生の目標を教えているのですよ」とかみ砕いて伝えています。

私たちが教えの通りに生きるには、真実を見究めることが大切です。私たちはつい、物事を自身のフレームで見たり、自分を中心にして考えたりしがちですが、事実を事実のまま捉えれば、自然と苦しみはなくなるのです。欲を離れ、真実を探究していくことが修行者の生き方と言えます。

私にも苦い経験があります。20代の頃、仏教界の不正や腐敗が目につき、怒りを感じていました。改革したいとの思いから、批判やデモ活動を行っていたのです。

ある時、私は不満を聞いてほしくて、有名な高僧に思いをぶつけました。その方は2時間、何も言わずに私の話を聞いてくださり、話が終わるとこう言いました。

「ある人が、田畑の脇に座って心を静めている。その人が僧侶である。その人が座っている場所が寺である。これが仏教である」と。

その言葉を聞き、大きな衝撃を受けました。私は形だけにこだわり、頭を剃(そ)り、袈裟(けさ)を着ている人が僧侶であると思っていたのですが、高僧の考えは違っていました。心がきれいな人は誰もが僧侶であり、どこであっても修行がなされていれば、その場所がお寺であると言われたのです。このことで、私は仏教への認識を改めました。以来、私は人を批判したり、声を上げて改革を迫ったりする心を捨てました。まずは自分から教えの実践に努め、やがて周囲の人の心がどうすれば清らかになるかを考え、行動するようになりました。「まずは自分」――この出来事が浄土会の創立にもつながっています。

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