特集・第10回世界宗教者平和会議世界大会に向けて WCRP/RfP日本委「平和大学講座」で光祥次代会長が基調発題
私たちはどう“宗教する”のか
今、世界の問題は宗教の智慧(ちえ)なしには考えられません。私は、宗教はもはや主語ではないと思います。述語なのだと思います。こういう問題に対して「宗教はどう実践しますか?」というのは宗教が主語だった時代の問いです。今私たちが考えなければならないのは「私たちはどう宗教するのか?」ということです。
Careをキーワードにして考えるとすれば、すべての人間関係の基本を「他者の痛みに心を向けること」――ここに置いて、それを日々の具体的な行動の指針とすることではないでしょうか。
最後に『法華経』の「化城諭品(けじょうゆほん)」にある一節をご紹介します。『願わくは此(こ)の功德を以(もっ)て 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に佛道を成(じょう)ぜん』。「結願(けちがん)の文」「普回向の文」ともいわれますが、この短い文の中に仏教信者の願いと行いの精神が込められています。
子どもの頃から毎日唱えていたこの一節ですが、学生時代に友人のことで心配なことがあった時、いつも当たり前のように、何げなくあげていたこのお経の意味が胸に迫ってきたことがありました。私がしたことが、少しでも仏さまの願いにかない、誰かのためになるのであれば、その功徳をその友人の幸せのためにすべて差し出したい。そんな気持ちになり涙が止まりませんでした。東日本大震災があった時も、泣きながら唱えたことを覚えています。私にとってのCaring for Our Common Future: Advancing Shared Well-Beingは、『法華経』のこの一節から始まるような気がしています。
(※は編集部注)