特集・第10回世界宗教者平和会議世界大会に向けて WCRP/RfP日本委「平和大学講座」で光祥次代会長が基調発題
移民・難民問題で問われる宗教者の姿勢
さて、今回のテーマはドイツ側からの提案によるものだったようです。その背景には「移民・難民問題」という、EU(※欧州連合)全体が直面している課題があります。よく「多様性は豊かさ」だと言いますが、多様性を別の言葉で言えば、異文化・異分子が入り込んでくることでもあります。ヨーロッパでは、それがとても速いペースで進行している現実があり、皆、多様性に耐えながら生きています。倫理的、道徳的、そして人道的には助けるべきだと分かっているけれど、それが限界に達し、怒りや憎しみ、対立となって表面化し、とても苦しんでいます。
一昨年、ドイツのある会合でメルケル首相とご一緒したことがありました。メルケル首相は、ヨーロッパの先頭に立って難民を受け入れてきました。ドイツとしては、ホロコーストというユダヤ人大量虐殺への贖罪(しょくざい)の念もあったかもしれませんが、メルケル首相はお父さまが牧師でいらした影響で、キリスト教の信仰に基づいて難民を受け入れるという信念がおありだったのではないかと拝察します。
そのような政策を進める中、EU各国またドイツ国内でもテロが発生しました。そのためドイツ政府はこれまで、難民受け入れに関して国内外からの厳しい批判にさらされてきました。
移民という他者が入り込む速度が速過ぎたこと、多過ぎたことで、ドイツはこれ以上、「他者を助ける」という信仰・教えを実践することが不可能な状況に陥っている――そのStruggle(※もがき)がこのテーマの底に流れています。今回のドイツ政府からWCRP/RfPへのパートナーシップの申し出は「宗教者はそれでも他者を受け入れるのか、それとも受け入れないのか」「この痛みの中で未来をどう考えるのか」という宗教者に対する問いであると思います。
Common Futureの「Common(共通の、共有の)」は、共有する誰かがいるということです。それは、仲良しとのCommon Futureではなく、Others――受け入れがたい他者との未来です。