宗教団体の社会貢献活動は「無関心」から評価に変わったか 庭野平和財団がシンポジウム(2)

「第3回宗教団体の社会貢献活動に関する調査」の結果を基に、パネルディスカッションでの3氏の発言要旨を紹介する。

稲場圭信・大阪大学大学院教授

今回の調査では、「大規模な災害が起きた時に、宗教団体はどのような活動を行ったほうがよいか」という問いに対し、避難場所の提供や支援物資の収集、搬送といった活動に高い期待値が示されました。一方で、宗教者が得意とする「傾聴」や「心のケア」といった活動への数値は前回の調査より低い結果となりました。現在、被災地や医療現場で心のケアに当たる170人以上の臨床宗教師が、全国各地で活動しており、その様子はNHKでも取り上げられました。しかし、そうした報道にもかかわらず、宗教者に対する心のケアへの期待はあまり高くありません。

熊本地震の被災地を含め、各地の現場を見てきて思うことは、災害時に心だけに焦点を当てたケアは成り立たないということです。炊き出しやがれき撤去など、困っている人のニーズに合わせて活動し、寄り添うことによって形成された人間関係の中で、被災者は少しずつ自分の心の内に秘める悲しみや怒りを吐露することができるようです。私はそれを「まるごとのケア」と呼んでいます。まるごとのケアを通して、親身に寄り添う宗教者に、心を開く人々を多く見てきました。

熊本地震の際には、熊本市社会福祉協議会(社協)の要請に応え、真如苑が敷地を災害ボランティアセンターの中継地点として提供しています。さらに、真如苑救援ボランティア「SeRV」(サーブ)と社協が連携を図り、ボランティアセンターの運営を行いました。

これは一例で、宗教団体はさまざまな社会貢献活動を行っていますが、広く知られていないのが現状です。テレビや新聞などのメディアは、教団名を挙げて報道することに難しさがあるようです。ただ、今回の調査で分かるように、少しずつではありますが、宗教団体に対する社会的評価が良い方向に変わってきているのも事実です。

北海道のある地域では、自治体と数カ所の寺院が災害時の協力協定を結んでいます。その自治体側の代表者は、取材で政教分離について問われた際、「問題ありません。これは、宗教の布教とは関係なく、災害時に人や地域の命を守るためのものです。地域住民も喜んで望んでいることです」と答えたそうです。他の市町村でも同じような事例があります。

また、臨床宗教師研修を実施している龍谷大学と京都府が提携し、臨床宗教師が自殺防止対策に取り組んでいます。災害時のような非常時だけでなく、平常時からの宗教者との関わりが広がっているのです。

行政と宗教者、宗教団体との連携が広がり、メディアが少しずつ取り上げることによって、これから宗教団体に対する社会の認識が少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

戸松義晴・浄土宗総合研究所主任研究員

宗教団体について、直接触れていない人たちが得る情報は、主にテレビや新聞からです。そこで報じられるのは、ほとんどが不祥事であり、一般の人たちのイメージは、そこからつくられていると言えます。

私は医療系の大学で教壇に立たせて頂いていますが、最初の授業で「宗教に対するイメージ」を質問します。良いイメージを持っている人は180人中3、4人ほど。一方、半数以上の学生が悪いイメージを持っており、理由を書いてもらうと、IS(イスラーム国)の行為のほか、「お金を取る」「怪しい」「だます」といった回答が多くを占めます。日常生活で宗教に関わりのある学生はほとんどいないことから、テレビからの情報に基づいて宗教を見ていることが分かります。

一方、今回の調査で、「宗教は現在の日本社会や個人にとって大切だと思いますか」という問いに対し、「非常に大切だ」「大切」と答えた人は合わせて約6割を占めました。日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が行っている調査でも同じ傾向が見られます。「死に直面したとき、宗教は心の支えになるか」という問いに対し、「なる」と答えた人は東日本大震災前の2008年には4割でしたが、震災翌年には6割近くになりました。震災によって死が人ごとでなくなったとき、宗教が心の支えになると考えた人が増加したのでしょう。

しかし、同じ時期に行われた、死に直面したときに頼りになる人を尋ねた調査では、宗教者は下から2番目でした。宗教者が頼りにならないというより、日常生活の中に宗教者との関わりがないということです。先ほどの私の授業でのアンケートでも、自宅に仏壇があって毎朝手を合わせているといった宗教と関わりを持った人は数人でした。

今回の調査結果を踏まえ、マスコミの報道のあり方、一方で宗教者の「顔」がないといったことが一つの問題提起としてあるかと思います。

それぞれの宗教団体には大事にしたい社会貢献活動があるはずですが、それが社会のニーズに応えるもの、人々の心に響くものでなければ、宗教団体の活動とはいえ、いずれなくなっていくでしょう。さらに社会貢献活動は、NPO法人や事業法人などでも実施されていますから、宗教団体が行っている活動は他の団体とは「何か違う」と感じさせるものがあるかが、重要になると思います。

宗教団体の社会貢献活動が、いかに認知されるかは、最終的にマスコミや社会の判断によります。私たち宗教者はしっかりと活動を続け、理解されるように積み重ねていくしかありません。信仰を持った人たちが、他の方とは違う活動をしていて、心に感じさせるものがあれば状況は自然と変わっていくはずです。

石井研士・國學院大學副学長

今、社会的格差が広がり、それによって苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。しかし、世論調査によると、悩みや苦しみを誰に相談しますかといった問いに対して、住職や神主、牧師など「宗教者」と答える人はわずかしかいません。

今日のように矛盾の多い社会に暮らしていて、問題を抱えた時に、最も頼りになるのは家族のようです。ただし、これは、家族の中で解決できなければ、大変なことになってしまうということでもあります。ですから、宗教者に対するニーズがないわけではないと思います。

このシンポジウムで、稲場先生、戸松先生は共に、世俗化に伴って人々の「教団離れ」が進む中で、それぞれの宗教者が「一人の人間」として苦しんでいる人々と丁寧に関わる重要性、さらにプロフェッショナルな宗教者の役割といったことを強調されました。そうなると、やはり課題は、教団や宗派にあるのではないかと感じます。

プロフェッショナルな宗教者を生み出す組織になれるかどうか――私は、苦しみを抱えた人に寄り添える宗教者になれるかを保障するのは、個人ではなく、やはり教団や宗派といった組織だと思います。なぜなら、ある程度成熟し、他者に手を差し伸べられるようになるまでには、大変なトレーニングと経験が必要で、教団や宗派には、そうしたことに関する知恵や知識、ノウハウが蓄積されているからです。

宗教の修行には、「先達」や「教師」といった導いてくれる人の存在が大きいといわれます。そうした存在がなければ、変な精神世界に迷ってしまう場合が多いからです。自分よりも一歩先に進んでいる教師に導いてもらうことが修行には大切であり、それは今後も変わらないでしょう。

その意味で、教団や宗派のあり方が注目されます。今後、組織のあり方が変わることによって、宗教、宗教団体、宗教者が社会の中でこれまで以上に認知され、活躍しやすくなるように思います。それは、日本人の苦しみを減じる幸せの道でもあるでしょう。