第34回庭野平和賞贈呈式 ムニブ・A・ユナン師 受賞記念講演
宗教は、それ自体が政治を構成する要素であり続けています。このことには、地域的な、世界的な意味合いがあります。ある有名なアメリカの政治家が語ったように、「政治はすべからく地元第一」です。世界中の多くのコミュニティーでは、宗教的信念は公の論議の場においてますます大きな影響を与えるようになっています。
身近な地域で、世界の出来事の中で、宗教がマイナスの役割しか果たしていないと見る社会が数多くあります。近年は、多くの過激な集団が聖典から章句を抜き出し、それを合理的な文脈から切り離して読み上げては一般化させて、他者に対する迫害を正当化しています。また、政治家が、民衆扇動やポピュリズムを使って過激主義を支持したり反対したりすることによって、過激主義を利用しようとしています。
政治的な利益と宗教的に是認されたかのような過激主義との連携は、危険な傾向です。それは特に中東において危険です。過激主義は一つの宗教のみに結び付けられるものではありません。どの宗教も過激主義を独占することはできません。エルサレムでは、聖書の名において土地を占有しようとするユダヤ人入植者と、その入植者の行為を大挙して支持しようとする政治家の過激主義に、日々、私たちはさらされています。私たちは、イスラームの極度な解釈こそが、強力で世俗的な権力を持つ敵に対抗する手段であると考えるムスリムに挑まれています。そして、時の終わり、ハルマゲドンがいつかそこで起きるであろうと思い描いて私たちの都にやって来たクリスチャン・シオニストに挑まれているのです。そうした人々が、エルサレムのみならず、世界全体で、終末論的な戦争が起きることを望んでいることに、私は警鐘を鳴らしたいと思います。
しかし、私たちが知っているのは、宗教の核心に二つの愛の呼びかけがあることです。それは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイによる福音書22章37節)と「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書22章39節)との呼びかけです。この統合されたメッセージは、世界の138人のイスラーム学者によって署名され、2007年に発行された共通の言葉の文書を通して、世の人々に気づきを与えました。クルアーンを含む聖典のメッセージの核心は、「神を愛する」そして「隣人を愛する」という二つの掟(おきて)に要約されると、その文書は宣言しています。
この愛すること、受け入れることという宗教的な誓いのメッセージは、チャールズ・キンボールが示した宗教が邪悪になるときに現れる「五つの警告サイン」とは対照的で、くっきりと際立っています。宗教的信仰が、神を愛し隣人を愛するというのではなく、邪悪に向かった時は、(1)絶対的真理の主張、(2)理性や分別を欠いた従順、(3)「理想」の時代建設の努力、(4)終末論的期待によるあらゆる手段の正当化、そして(5)聖戦の布告という兆候が表れます。こうした有害な宗教的信仰の五つの特徴は、「伝統に根差した包容力のある信仰」という見解によって脅かされると、キンボールは考えます。「神を愛せ」と主張しても実際は隣人を憎んでいるような過激主義者というのは、真の宗教から堕落した人たちです。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(ヨハネの手紙一 4章20節)とあるように、残念ながら私たちの世界には多くの偽り者がいます。