「2033年にエルサレムで人類の救済を祝おう/教皇」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)
諸宗教対話は神の愛が起源/教皇
ローマ教皇レオ14世は11月30日、トルコからレバノンのベイルートに到着し、大統領府で同国大統領、国会議長、首相と会見した後、政府関係者、市民社会の代表者、同国付け外交団を前にスピーチし、「非常に複雑、闘争的で、未来が定かではない(中東)状況において、平和の構築者であるということは、どんな意味を持つのか?」と問いかけた。
「幸いなるかな平和の構築者」との、キリストの「山上の垂訓」の中にある一節をテーマとしたスピーチにおいて教皇は、平和の構築者の第1の特徴が、レバノン国民のように「諦めないで、試練にあっても、勇気を持って立ち上がる」ところにあると指摘。なぜなら、「平和構築という作業は、再出発の連続である」からで、「平和の構築が、粘り強さを必要とし、生命を擁護、滋養していく働き」でもあると話した。
われわれの周りだけではなく、世界中が「悲観主義と無能さに敗北してしまったかのように見受けられる」状況下にあって、人々が「歴史の流れを変えていくために、何ができるのかを問うことさえもできなくなり、現状が回避できない宿命だと考えるようになっている」のだという。種々の重要なる決断が、(皆のための)共通善を無視して、ごく少数の権力者によってなされている現状を批判する教皇は、レバノン国民も「人を殺す経済(危機)の破壊的な結果と、国民のアイデンティティー、闘争の過激化に苦しんできた」が、「常に再出発することを望み、対処し得てきた」と称賛した。「皆を同じ方向へと誘い、常に再出発を促す、希望の言葉を話すように」が、教皇のレバノン国民に向けた進言だった。
平和構築者の第2の特徴は、平和を「困難な和解の道を通して追求」していくことであり、「過去の記憶を癒やし、誤って責任を追及され、不正義を強いられてきた人々との和解を追求することなくして、平和は実現できない」のだ。しかし、教皇は「家庭、種々の違った共同体、国家を構成する諸分派、諸国の間において、和解と真理が共に進展されていかなければならない」と忠告する。歴史的な真実を認めることなくして、和解は構築できないのだ。
さらに、「善が、過去に強要され、害をもたらした悪を超えるような未来が無ければ、和解は成立しない」とも主張。「共通善」を基盤とする和解へ向けての未来(道程)を説く教皇は、共通善を「種々の利益の総合ではなく、個々人の目的に対し、個々人が独自に追求するのではなく共に求めることによって、より多くが得られるという事実に近づくための方向性(ダイナミック)」として説明した。
この共通善が、個人レベルだけでなく、政権、制度による和解追求の鍵となるべしというのが教皇の主張だ。平和の意味するところが、同じ屋根の下(地球)で別れて生きるという、常に不安定な均衡ではなく、和解した人々が交流の内に共に住むことを知ることであり、協調し、分かち合われた未来のために、寄り添い合って生きることなのだ。
平和構築者の第3の特徴は、「あえてとどまる」ことだ。「(未来に対する)不安、暴力、貧困、その他の脅威」から逃れるために、キリスト教徒を中心に外国へ移住していくレバノン国民に対する、教皇からの嘆願だった。自国民と共にとどまり、日々、愛と平和の文明を構築するために協力していくことも大切だと教皇は考える。生命力あるレバノン国家建設のために国内にとどまる、あるいは、帰国する女性、若者たちは、「幸いなるかな平和の構築者」であるというのだ。
教皇は12月1日、ベイルート市内でイスラームの尖塔(ミナレト)やキリスト教の教会の鐘楼らが共に立ち並び、諸宗教共存のシンボルとされている「殉教者広場」に赴き、レバノン諸宗教指導者たちとの対話集会に臨んだ。
シリア系カトリック教会指導者の歓迎の言葉に続き、イスラームのスンニ派、ギリシャ系正教、イスラームのシーア派、シリア系正教、イスラームのドゥルーズ派、アルメニア系正教、プロテスタント教会、シリアのイスラーム・アラウィー派(シーア派分派)の指導者たちが次々と登壇し、諸宗教対話の重要性を主張した。
彼らの主張に応える形でスピーチした教皇は、「世界の目が中東に向けられている」が、「人類は、複雑で長期間にわたって続く中東紛争を、恐れ、落胆しながら見守っている」と指摘。そうした状況下にあっても、「私たちが、私たちに共通する人間性、愛と慈しみである唯一の神への信仰という、私たちを結びつける要素に集中する時、希望と励ましが見いだせる」と呼びかけた。
こうした視点から、レバノンが使命として有する、「キリスト教徒、ムスリム(イスラーム教徒)、ドゥルーズ派の信徒、そして、その他の数多くの宗派の信徒たちが、尊敬と対話によって一致された国家を構築することで、共存できるという永続的な真理に対する証し」が、重要性を帯びてくるのだ。
ここで、第2バチカン公会議の諸宗教対話に関する宣言文である「ノストラ・エターテ」に言及した教皇は、「(諸宗教間における)真の対話と協力が神の愛を根源とし、それが、平和、正義、和解の基盤である」と主張した。さらに「神の愛からインスピレーションを受けた対話が、全ての善意の人々を抱擁し、人間各個人の平等なる尊厳性を主張することによって、偏見、差別、迫害を拒否していく」と話した。また、諸宗教対話の核心は、「あらゆる境界を超えて存在する神を、畏敬と謙遜さを持って探し求める」ところにある、とも呼びかけた。
レバノン国民は、「平和の構築者として、不寛容に抗し、暴力を克服するのみならず、排除を禁じ、あなたたちの信仰の証しを通して、全ての人のための正義と協調への道程を照らし出していかなければならない」のだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)





