「2033年にエルサレムで人類の救済を祝おう/教皇」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)
レバノンよ立ち上がれ、中東和平預言の地であれ/教皇
ローマ教皇レオ14世は11月30日、トルコ訪問を終え、レバノンのベイルートに到着した。長引く政情不安と経済危機に襲われ、国の南部を間断なくイスラエル軍によって攻撃されるレバノン。国の存亡そのものが、問われている。
同国はかつて、巨木となる「レバノン杉」によって象徴され、中東では珍しい諸民族、諸宗教、諸文化の融合の地として栄え、同地域で最もキリスト教徒の多い国だった。だが、2020年、ベイルートの港湾施設で大量に貯蓄されていた硝酸アンモニウムによる大爆発が発生し、218人が死亡、30万人が住む場所を失った。首都の半分以上に被害をもたらした爆発事故は、不安定な同国の政治、経済状況を、さらに悪化させた。
その影響で今も生活苦に喘(あえ)ぐ同国のキリスト教徒や国民に向かい、教皇レオ14世が、訪問の目的と国民へのメッセージを明確な形で表明したのは、12月2日のベイルート海浜地区で執り行われたミサの説教でのこと。レバノン訪問最後の行事としてのミサであり、説教は同国のカトリック信徒たちを励ますための、惜別の辞としても受け取れた。
レオ14世は、ベイルート港から見渡す「景観の美」に言及。ミサ前に大爆発の発生地を訪問したと前置きしながら、「レバノンの美しさ」が、「貧困と苦、あなたたちの歴史を特徴付けてきた傷痕、あなたたちを苦しめる多くの問題」、そして、「脆弱(ぜいじゃく)、往々にして、不安定な政治状況、あなたたちを抑圧する激的な経済危機、昔の悪夢を再現させる紛争と暴力によって、暗雲で覆われている」と分析した。さらに、神に対する賛美が、「荒廃した心の中で隙間を見いだせず、希望の源泉が不安と混迷によって枯渇してしまっている」と嘆いた。
貧困と紛争によって未来と希望を失い、国外へ離散していく者も多いレバノンのカトリック信徒たちに向かい、教皇が説いた「救いへの道」は、「夜の暗闇の真っただ中に輝く小さな光を見いだすように」との、キリストからの誘いだった。
ミサ中の聖書の朗読に触れた教皇は、子なるキリストの父なる神への感謝が、「神の例外的な業(わざ)に対するものではなく、神の偉大さ(救い)に関心を引かず、まったく重要性を認められないでいる、声なき人々に示されたところにある」と説いた。確かに、人類の救世主の降誕(クリスマス)を最初に告げられ、礼拝に招待されたのは、貧しい羊飼いたちであった。人類の救いへのメッセージが、まずはじめに、強権者や富豪たちに伝えられず、貧しく、虐げられている人々に告げられたという、十字架上の逆説と同様、人間の思考方法とはまったく違う形で啓示されたのだ。
教皇はさらに、救世主の誕生という「小さな希望」が、「死に囲まれた状況の中で、復活を意味し始めた」と強調。だが、この生命(救い)に向けた小さな「芽」は、「小さく、(この世からの)大を望まず、隠された細部、喪失されたかに見える歴史の中に、神の形跡を見分けることのできる人々によってのみ認識可能」だと説く。「悲痛な出来事の中にあっても、この小さな種(神の王国)が芽を出し、成長していくことを見る眼が必要」で、この小さな芽は「荒れ果てた現代史の中においても、今、ここに見ることができる」と語りかけた。
「このレバノンの地が、過去の栄華を取り戻すことができるように」と願った教皇は、そのためには、「私たちの心を武装解除し、民族的、政治的な理由によって閉鎖する鎧(よろい)を取り外し、私たちの信仰を相互の出会いに向けて開放させ、私たちの心の底にある、レバノン統一に向けた夢を呼び覚まし、平和と正義が勝利することによって、皆が兄弟姉妹として認め合う国にしていかなければ」と励ました。
教皇は「狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏し、子牛と若獅子が共に草を食む」(旧約聖書/イザヤ書・11章6節)との、レバノン統一の夢を国民に託し、ローマヘの帰途に就いた。





