金沢教会能登道場「感謝のご供養」

齊藤教務部長を導師に、参集者全員で読経供養。感謝の誠を捧げた

海風に乗ってトンビが舞い、雨空に読経の声が響く。3月16日、金沢教会能登道場で「感謝のご供養」が執り行われた。

当日の式典には、能登支部の会員をはじめ、金沢教会からマイクロバスで3時間かけて駆け付けた会員約40人が参集した。教団本部を代表して齊藤佳佑教務部長が出席。全員で読経供養を行い、感謝の誠を捧げた。

能登道場は、金沢教会で最も広い包括地域を持つ能登支部の布教拠点として昭和61年10月5日に開所した。夏休みには少年部員が集い、海を望む庭園の芝生にテントを張ってバーベキューを楽しむなど、多くの会員が親しんだ。漁業の盛んな土地柄で、支部で海難物故者供養も行われてきた。昨年元日の能登半島地震では、金沢教会から奥能登方面に救援物資を届ける中継拠点として、道場敷地内の倉庫が活用された。一方、地震の影響で道場の母屋が使用できなくなり、今年、38年の歴史に幕が下ろされた。

式典では、能登支部の会員がマイクをリレーし、能登道場で信仰仲間と修行した当時を振り返る場面もあった。わが子を背負って修行に訪れた日々、地域のバザーや夏休みの少年部活動でにぎわう様子……集った会員たちは、話を聞きながら当時の風景を思い浮かべ、静かにうなずいて懐かしんだ。

式典の中で向當亜希子教会長(北陸支教区長)は、歴代の能登支部長を紹介するとともに、長年、道場の護持に努めた会員たちに感謝を伝えた

最後にマイクを握ったのは主任の女性(63)。「ずっと通ってきた大事な道場がなくなるのは寂しい。でも、能登支部がなくなるわけではありません。皆で前に進んでいきます」と力を込めた。

式典を終えて、思い出を語ったのは、2002年から5年にわたり支部長を務めた女性(75)。自宅のある内灘町から車で2時間半かけて能登道場に通った日々を思い返し、「式典の日は朝5時半に家を出て、車内で進行の練習をして通いました。道場に近づくにつれて辺りが明るくなり、海がピンクや橙(だいだい)に美しく光り輝く風景がきれいで、『これは仏さまから私へのプレゼント』と思えて、力が湧きました」と懐かしんだ。

能登支部の包括地域である珠洲(すず)市の自宅で被災し、現在は津幡町に移り住んでいる女性(68)は今回、約一年ぶりに能登道場を訪れた。

「震災直後は『いのちがあるだけで有り難い』と思っていたのに、いつしか、被災していない人をうらやみ、被災度合いを比べて思い悩む自分がいることに気づきました。生きていくのは大変ですね。そうした日々の中で、ご供養をして自らを省み、仏さまのものの見方、考え方を思い返し、心の軸を定めています。能登道場での修行を通じて学んだことは、道場がなくなっても、私の心身の中で生き続けています。その感謝を胸に、教会の皆で支え合い、笑い合って毎日を過ごしていきたいと思います」