「退院後の教皇の回復状況」(海外通信・バチカン支局)

退院後の4月17日にローマ市内の刑務所を訪問した教皇フランシスコ(バチカンメディア提供)
肺炎治療のためにローマ市内にあるカトリック総合病院「ジェメッリ」に入院していたローマ教皇フランシスコは、3月23日に退院し、バチカン内の自身の居所である「聖マルタの家」に帰った。「2カ月の療養期間中には、人やグループとの面会や過度の執務は避けるように」と医師から勧告されている。
バチカン報道官のマテオ・ブルーニ氏は、同記者室で数回のブリーフィングを行い、教皇の回復状況を明らかにした。「血液検査、肺のレントゲン写真などによって、少しずつではあるが回復の兆候が見受けられ、酸素供給の時間も次第に減少されるようになった」という。また、国務長官などごく少数の側近と会いながら、通常業務を遂行していることも明らかにされた。
一方、教皇は4月6日、バチカン広場で執り行われていた「病者と医療関係者の聖年」のミサの終わりに、車いすに乗って姿を見せ、いまだに息が苦しそうながらも「よい日曜日を過ごしてください。本当にありがとう」と参集していた約2万人の信徒たちに短くあいさつした。9日には、結婚20周年を祝うためにイタリアを訪問中だった英国のチャールズ3世国王夫妻とバチカンの居所で会見した。公表された写真の中で教皇は、カミラ王妃の手を握りながら国王と談笑し、酸素供給のための鼻カニューレは装着していなかった。事前には、教皇の回復状況から、無理ではないかと言われていた謁見(えっけん)だった。
これらを契機に、教皇の姿がバチカン内やローマ市内の、あちこちで見受けられるようになった。10日には、聖ペトロ大聖堂に車いすで姿を見せ、同大聖堂の教皇祭壇天蓋(てんがい)の修復状況について関係技術者たちと懇談。歴代教皇の安眠する地下墓地では、自身の尊敬する教皇ピオ10世の墓参をした。12日には、自身の生前退位の際の隠遁(いんとん)所と決め、自身の墓地をも用意した、ローマ市内の聖母マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)を訪問し、「ローマ市民救済の聖母画像」の前で祈りを捧げた。バチカン広場では13日、復活祭前の聖週間に入ることを告げる「枝の祝日」(死へ向かうためにエルサレムへ入るキリストを信徒たちがシュロの枝を振って迎えたことに由来)のミサが執り行われていたが、教皇はそのミサの終わりにも姿を見せ、「良き枝の祝日と聖週間をお迎えください」と述べた。
教皇は退院の時に、医師たちから「2カ月間の療養期間中にはグループと会わないように」と勧告されていたが、16日にはバチカン内の教皇パウロ6世ホールで、彼の治療に当たった約70人のカトリック総合病院とバチカンの医療関係者と会い、お礼を述べた。教皇の回復状況が良好であることを示した一コマだった。
教皇フランシスコは、毎年の聖週間の聖木曜日にローマ市内の刑務所を訪れて「洗足式」を行い、服役者たちの足を洗ってきた。キリストが「最後の晩餐(ばんさん)」の席で他者への奉仕の重要性を教えるために、自ら弟子たちの足を洗ったことを追憶するものだ。今年は、肺炎治療後の療養期間にあるため、洗足式は実行できなかったが、17日にローマ市内の刑務所「レジナチェリ」を訪問し、約70人の服役者と会い、励ました。教皇は服役者たちに向かい、「私は毎年、キリストが聖木曜日になさったように、洗足式を刑務所で執り行うようにしている。今年はできないが、あなたたちの近くにあり、あなたたちと家族のために祈る」と述べた。教皇は、復活祭の前日(19日)にも聖ペトロ大聖堂内に姿を現し、米国からの巡礼者たちと言葉を交わした。バチカン広場での復活祭のミサ(20日)をはじめ聖週間の全ての行事の司式を、枢機卿たちが代行した。
復活祭ミサ後に聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーで執り行われた「ローマと世界へ向けてのメッセージと祝福」では、教皇が車いすに乗って元気な姿を見せた。参集した約3万5000人の信徒たちに向かい「復活祭、おめでとうございます。メッセージを代読してもらいます」と述べ、メッセージ代読後に全世界へ向けて祝福を送った。一言一言、苦しそうに話す教皇の言語機能の回復には、まだ時間がかかりそうだ。教皇は、全世界に向けた自筆のメッセージの中で、世界各地での戦争、紛争状況に言及しながら、「軍縮なくして平和は有り得ない」と訓告した。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)