「核兵器禁止条約と世界の諸宗教者」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

入院後に初めて公開された教皇の写真(「バチカンメディア」提供)

回復へ向かった教皇が退院

2月14日に気管支炎の治療のためにローマ市内のカトリック総合病院「ジェメッリ」に入院し、「両肺の炎症」と診断されたローマ教皇フランシスコの病状が、3月6日以降、少しずつながらも回復へと向かい始めた。

教皇は3日、急性の呼吸困難に襲われていたが、6日の診断レポートでは「教皇の病状が以前と同様、安定している」と報告され、呼吸困難も再発せず、呼吸や作動訓練から良き結果を得ていると記された。血行と血液検査の結果も安定しており、熱もないとのことだ。医師団は、予後の判断を保留しながらも、病状が安定してきているので、毎日の診断レポートの公表をやめ、次回のレポートは3日後に公表すると明らかにした。教皇の病状が回復へと向かう、最初の兆候となった。

10日に公表された診断レポートでは、「ここ数日間にわたって見られた回復が、血液検査、臨床状況、投薬療法に対する良き反応によって、確固としたものとなった」ため、「予後の保留を解く」と明らかにした。教皇の病状が、「危険な状態を脱した」のだ。しかし、「複雑な病状」と「入院を必要とした重大なる感染状況は残る」ので、「病院内での投薬治療が必要である」とし、早期の退院は否定した。教皇はオンラインを通じて、バチカン内で執り行われている「バチカン諸機関指導者の四旬節(復活祭前)の黙想会」に参加しているとも明らかにされた。

12日のレポートでは、「昨日の胸部レントゲン写真の結果で、ここ数日間の回復状況を確認した」と報じ、「昼間は鼻カニューレによる高量酸素吸入、夜は酸素マスクを着けて休んでいる」と記したが、16日のレポートでは、「ここ1週間の回復が明らかとなり、夜間の酸素マスク着用の時間が徐々に短縮されていった」と公表された。さらに同日、入院後初めて、教皇の祈る姿の写真が公開された。背後から横顔を撮影した写真であり、顔の表情は分からないが、写真が公開されたこと自体が教皇の回復状況を示唆していた。

19日のレポートでも教皇の病状の回復が確認され、「夜のマスクによる酸素吸入が必要なくなり、昼間の高量酸素吸入も減少された」と記されていた。

22日、記者会見に応じたカトリック総合病院のセルジョ・アルフィエリ医師(教皇治療医療チーム責任者)と、バチカンで教皇の主治医を務めるルイジ・カルボーネ医師は、「明日(23日)、教皇が退院し、バチカン内の居所・聖マルタの家に帰る」とアナウンスした。「教皇は、入院中に2度ばかり生命の危険に遭遇した」と明かす両医師は、「肺炎は克服したが、いまだ治療を必要とし、慢性の気管支炎の問題も残るので、少なくとも、2カ月間の回復期間が必要である」と主張し、その期間中には「信徒や他のグループと会う、重度の責務を負うといったことは避けるように」と勧告した。「教皇に声が戻るまでには、時が必要」とのことだ。

教皇は23日正午、同病院の5階に位置する病棟のバルコニーから、1カ月を超える闘病生活に疲労した表情ながらも姿を見せ、病院の内庭に集まった信徒たちに「皆さんにありがとう」と短く述べ、彼らを祝福した。彼らの中に、黄色の花束を振っている女性をいち早く見つけ、「ありがとう」と呼びかけ、信徒たちとの対話のスピリット(精神)を失っていないことを示す一コマもあった。

信徒たちとの1カ月ぶりの出会いを終えた教皇は、自身が生前退位する場合の隠遁(いんとん)所で、自身の埋葬地と決めているローマ市内の「聖母マリア大聖堂」(サンタマリアマジョーレ)に立ち寄った。同大聖堂に安置してある「ローマ市民救済の聖母画像」に感謝の花束を捧げるよう、自身は車からは降りずに院長に託し、バチカンに戻った。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)