150年先に残す山づくり 「一食福島復興・被災者支援」事業から

植林地を案内するあぶくま山の暮らし研究所の青木理事長(写真右)。震災の影響で耕作放棄地となった山の斜面には、約150本の苗が育っている

立正佼成会一食(いちじき)平和基金運営委員会(委員長=齊藤佳佑教務部長)は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故で被害を受けた福島県の被災者を継続して支援するため、2024年度も「一食福島復興・被災者支援」事業を展開した。

11年目を迎えた同事業では今回、復興に取り組むNPOなど9団体に計670万円を拠出。支援先の選定はNPO法人うつくしまNPOネットワーク(UNN)に委託し、同団体に管理費150万円を寄託した。

2024年の拠出先一覧。被災者自身が地域づくりや人づくりに携わるなど、「継続性と当事者性」のある活動が重視された(クリックして拡大)

支援先の一つであるNPO法人あぶくま山の暮らし研究所(田村市)は、県の東部に連なる阿武隈山地の自然や文化を継承し、「持続可能な山の暮らしの再生」を目的に活動する団体だ。

森林が面積の8割を占める田村市の都路地区は、古くから炭焼きが盛んで、震災前はシイタケ原木の一大産地として知られていた。しかし、原発事故により状況は一変。放射能汚染の影響で原木が出荷停止となったのみならず、山菜やキノコなど、山の資源と共にあった人の暮らしまでも失われた。

同研究所では18人の正会員が活動。震災前、シイタケ原木の加工場だった「旧オガ工場」を拠点としている

「震災後の生活を考えた時、“山を自然に返したい”という気持ちが湧きました」と、都路出身の青木一典・同研究所理事長は語る。発災を機に農家を廃業した青木理事長は、荒れた農地にモミジやカエデを一人で植え始めた。先人が数百年かけてつくり上げ、自分たちを支えてくれた山を未来に残したい一心での行動だったという。

その後、青木理事長の思いに共感した地域住民や林業関係者、研究者らが集い、2020年に同団体が発足。山の暮らしを取り戻すため、「阿武隈150年の山」構想を立ち上げた。山の表土に残る放射性物質の影響が減る150年先を見据え、豊かな山の資源を後世に伝えるのが目標だ。

構想のモデルとなる山づくりを目指して、翌21年から毎春、植林イベント「暮らしに根ざした阿武隈150年の山づくり」を開催。耕作放棄地となった山の斜面には、ヤマザクラ、クヌギ、コナラなど約150本の苗が育っている。一食平和基金の浄財は、同イベントの継続と発展に役立てられている。

震災によって人が離れ、放置された状態の森林をどのように活用するか、地元住民と共に計画づくりを進めている

植林には地域住民のほか、山づくりに関心を持つ県内外の人が参加。中には、山の仕事を初めて体験する大学生もいる。「自分の手で植えた苗がどう成長するのかと、学生たちは目を輝かせて想像していました。私たちの山を若い彼らにリレーしているような感じがして、非常にうれしいです」と青木理事長は話す。苗木が順調に育つよう、イベント後は下草刈りなどの管理を欠かさず続けている。

ほかにも同団体では、山の暮らしを次世代に伝える多様な活動を展開。ニホンミツバチの巣箱づくりやシイタケ原木の種菌植え付けなど、林産物の文化を継承するワークショップを行っている。また、田村市と協力して集落支援員事業を運営し、人口減少や高齢化といった地域の課題を調査しながら、住民の声を生かした山づくりの計画を進める。

震災後から福島県で林業を営む久保優司・同研究所副理事長は、「阿武隈の山は全国的にも若い広葉樹が多く、豊かな生態系が広がっています。山の価値を改めてアピールし、地元の方々の誇りになる森をつくれたら」と意気込む。発災から14年を迎える今年3月には、5回目の植林イベントが開催される予定。新たな植林地を使った活動にも取り組んでいく。