阪神・淡路大震災30年慰霊式典 庭野会長が出席
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神戸教会で行われた慰霊式典。会場には大勢の会員が集った
1月17日、神戸教会に715人の会員が参集した。阪神・淡路大震災から30年の節目となったこの日、庭野日鑛会長を迎え、教会道場で「阪神・淡路大震災30年慰霊式典」が行われた。佳重夫人が同行、西日本教区の猿樂年央教区長、近畿支教区の各教会長が出席した。当日の様子は、動画共有サイトでライブ配信(会員限定)され、近畿支教区の会員は各教会や自宅で参加した。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部沖の明石海峡を震源としたマグニチュード7・3の大地震が発生。6434人が犠牲となり、被災地域を包括する神戸教会の会員も85人が亡くなった。
震災直後の同月29日、混乱の続く神戸市に駆けつけた庭野会長。苦しみの中にいる“親戚”を少しでも励ましたいとの願いのもと、被災状況を視察したほか、避難所となった小学校で被災者を激励し、自ら支援物資の搬入にも当たった。
あれから30年、今年1月16日に神戸入りした庭野会長は、同市東遊園地(中央区)を訪れた。震災当時は臨時ヘリポートだった場所で、救援に駆けつけた庭野会長が降り立った地だ。
夕闇の中、園内に並べられた紙灯篭(かみどうろう)にロウソクで火を灯(とも)した庭野会長は、集った市民や会員と共に静かに祈りを捧げた。
大切な人を失った悲しみ、絶望、託された願い、震災を知らない世代の未来への希望……。それぞれが30年分の思いを胸に迎えた17日、神戸教会で慰霊式典が挙行された。式典では、震災直後からの教会の歩みを振り返るビデオ上映に続き、奉献の儀が行われた。青年男女・学生部員22人が灯明や、震源地となった淡路島で採れた花を捧げた。
奉献の先頭を務めたYさん(14)は、母と祖母が被災した震災を忘れず、いのちの大切さを未来に伝えていきたいとの願いから参加した。聖壇上で立派に役を果たすYさんを、祖母のMさん(82)は感謝で見守った。「30年間、よう生きてきたなと思います。娘も式典のお役をしていますが、今日こうして家族皆が元気で、人さまのお役に立てていることがありがたいです」とMさんは合掌した。
西村季代子教会長を導師に行われた読経供養。30年前に庭野会長からおくられた戒名『慈生院法妙安阪神淡路大震災德六千余名信士信女童男童女霊位』が読み上げられ、回向文が奏上された。
河南有紀近畿支教区長のあいさつに続き、Oさん(63)=主任と、息子のKさん(30)=青年男子部長=親子が体験説法を行った。
次いで、庭野会長が登壇。焼香した後、法話を述べた。庭野会長は、地球上で発生する地震の1割が日本に集中しているとの新聞記事を紹介しながら、地震の発生要因は地球の活動と深い関係があると言及。人間が生きているように地球もまた生きていて、私たちはその地球上で、さらには「地震大国」と言われる日本で生活していることを忘れず、常に心構えを持ち、互いに体験を伝えていかなければならないと語った。
また、地球は太陽の光で生かされていると説明。太陽があるから地球には空気や水が存在すると話し、「そうしたいろいろな不思議の中で、私たち一人ひとりも不思議ないのちを頂いて、こうして生かされているわけであります。そのことを本当に大切にしていきたいと思います」と伝えた。
その上で、日本の禅僧である道元禅師の逸話に触れながら、「無常」を認識する大切さを明示。「地球は常に動いていて、私たちも生まれて死ぬを繰り返している。そうした無常ということをしっかりと心に銘じて、これからも皆さんと共に精進をしてまいりたいと思います」と述べた。
最後に、青年婦人部、青年男子部のコーラス隊のリードで、復興曲『しあわせ運べるように』を会場全員で大合唱した。
コーラス隊に参加したIさん(52)=教務スタッフ=は、「震災で亡くなったサンガの家族が、30年後の今年、お役をされている姿を目にし、いのちはつながっていくのだと実感しました。私の娘は震災を知らない世代ですが、一緒にコーラスのお役を務めてくれました。これからも体験した者の責務として教訓やいのちの尊さを語り継いでいきたい」と感想を話した。