「カーター元米国大統領の逝去——庭野開祖とも交流」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

聖年の扉を開けた教皇——神の許しと希望は国際債務の削減も

ローマ教皇フランシスコは2024年12月24日夕刻、クリスマスのミサを挙げる前に、バチカンの聖ペトロ大聖堂にある「聖年の扉」を開ける式典を執り行い、自身もくぐった。教皇に次いで、五大陸を代表する聖職者、一般信徒や子どもたちが、「聖年の扉」から大聖堂内へと入場していった。

教皇は昨年の5月、『希望は欺かない』と題する2025年度の「定例聖年」を公布する勅令を公表した。その中で「今、新たな聖年の時が来ました。この聖年の間に聖なる扉が大きく開かれ、キリストにおける救いという確かな希望を心に呼び起こす、神の愛の生きた体験がもたらされます」と述べ、カトリック教会が25年に一度祝う、聖年を位置付けた。

ユダヤ教では聖年が50年に一度祝われていたが、カトリック教会において最初の聖年を1300年に祝ったのは、教皇ボニファティウス八世(1235-1303)だった。同教皇は100年に一度の聖年を定めたが、教皇パウロ二世が1470年、25年に一度と改定した。神と和解し、罪の許しを受ける象徴としてくぐられる最初の「聖年の扉」を、1425年に公布した勅令によって、ローマ市内にあるラテラノの聖ヨハネ教会(ローマで最古の大聖堂、バチカン建立以前の教皇座)に設置したのは、教皇マルティノ五世だった。

2025年の定例聖年を公布するにあたり教皇フランシスコは、「過去の惨事を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています」と分析し、キリストによる救いへの希望は、こうした歴史的背景の中で実現されていかなければならないと訴えた。ウクライナ、中東、ミャンマー、スーダンなど世界各地で続く戦争、世界規模で広がる環境破壊、気候変動、そして、大量の難民の発生といった状況下にあって、「時のしるし」を、どう「希望のしるし」へと変えていくかを問い、「希望の巡礼者」となるようにと促している。

現実の中で、生身の人間を対象に「希望」を示し、実現していくようにと説く教皇は、旧約聖書に登場する預言者の言葉に触れながら、「聖年が、地球上の資源は、ごく少数の特権者のものではなく、全ての人のものであると思い起こさせる」と戒める。世界に存在する「飢餓は、われわれの生身の人間性に対するスキャンダルであり、全ての人に良心を奮い立たせるように呼びかけている」と指摘し、「兵器や他の軍事費に使用する経費を、飢餓を撲滅させるための世界基金の創設や貧困諸国の発展に回すように」とアピールしている。さらに、「聖年の機会に、富裕諸国に対して、返済する能力を有しない国々の国際債務を恩赦するように」とも訴えた。教皇によれば、この問題は、富裕諸国の寛大さに関する問題ではなく、「地球は神のものであり、私たち全員が“異邦人、お客さん”として住んでいる」という聖書の視点から、「正義」にかかわる問題だ。特に、「南北間における“環境債務”」に言及する教皇は、「不均衡な通商が及ぼす環境への影響と先進諸国による膨大な自然資源の浪費」を指摘する。神のものである地球とその資源を、あたかも自分たちだけのものであるかのように浪費し、汚染する先進諸国は、貧困、開発途上諸国に対して「環境債務」を負っている。聖年は“赦(ゆる)し”の年だが、自身の犯した個人的な罪以外に、こうした“社会的罪”をも告白し、改めなければ、いくら「聖年の扉」をくぐっても、神からの罪の免償は得られないのだ。

第二バチカン公会議(1962~65年)後に開催された定例聖年は、教皇パウロ六世によって公布された1975年の聖年、教皇ヨハネ・パウロ二世の西暦2000年を祝う「大聖年」、そして、今回の2025年の聖年の三つだ。

1975年に開催された聖年は、立正佼成会の国際活動の歴史とも交錯した。同年の聖年において、教皇パウロ六世によって司式されたバチカンでの「聖年の扉」を開ける式典と閉める式典に向けて、日本から青年らが派遣され、佼成会とカトリックの本格的な交流活動が開始された経緯があるからだ。1974年と75年のクリスマスに執り行われたバチカンでの式典に、川手康太郎理事と庭野欽司郎・青年本部長(以上、当時)を団長とする一行がバチカンに飛来し、佼成会の青年たちが、ローマでフォコラーレ運動(カトリックの在家運動体、本部・ローマ)やカリスマ運動のメンバーたちと対話するのみならず、市内の「少年の町」やアッシジをも訪問することによって、カトリック教会との対話の接点を求めていった。特に、「聖年の扉」を閉める式典ミサの奉献の儀では、異教徒である仏教徒が教皇パウロ六世の手に直接、贈り物を手渡すという当時では異例の光景を見ることができた。1965年に教皇パウロ六世と庭野日敬開祖の間で「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈る」時の到来が告げられてから、10年が経過していた。同年の聖年のテーマは『和解』だった。「佼成新聞」のバチカン支局が開局されたのも、1975年だった。従って、2025年の聖年は、佼成会とカトリックの本格的な交流の開始と「佼成新聞」のバチカン支局開局の50周年でもある。

教皇フランシスコは12月26日、バチカン広場での正午の祈りの機会に、貧困諸国の国際債務の救済を「聖年に特有の行い」だと指摘し、「国際カリタス」(カトリックの国際NGOで社会活動、救援活動を行う/総裁=菊地功東京大司教区大司教・枢機卿)の推進する「負債を希望に変えていこう」とのキャンペーンを支援していくようアピールした。「負債の問題は、平和と武器の“闇市場”に関連している」と指摘する教皇は、「諸国を武器によって植民地化することを止めよ」と戒め、「軍縮のために、飢餓、病気、未成年者の就労の克服のために、行動を起こそう」「ウクライナ、ガザ地区、イスラエル、ミャンマー、コンゴでの和平のために祈ろう」と呼びかけた。さらに教皇は、聖年の元旦に執り行った「世界平和祈願日」のテーマとして、『私たちの債務を消却し、平和を与えて下さい』を選んだ。

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