「カーター元米国大統領の逝去——庭野開祖とも交流」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

カーター元米国大統領の逝去——庭野開祖とも交流

ジミー・カーター第39代米国大統領が12月29日、同国ジョージア州の自宅で亡くなった。100歳だった。

ローマ教皇フランシスコは30日、バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿を通し、弔電を送った。この中で教皇は、同大統領の逝去に深い哀悼の意を表し、キリスト教(バプテスト教会)の深い信仰を背景とした諸国民間の和解と和平、人権の擁護、また貧者、助けを必要としている人々の福祉に対する献身を讃(たた)えた。

カーター大統領は在任中の1978年、別荘のキャンプ・デービッドで、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相との間を仲介し、両国の和平、国交樹立に関する12日間にわたる折衝を結実させた。「キャンプ・デービッド合意」は翌年3月に成立し、エジプトがイスラエルを承認して国交を樹立することを条件に、イスラエルがシナイ半島をエジプトに返還することを定めた。また、ガザ地区とヨルダン川西岸のパレスチナ人による「自治」についての折衝を展開していくことでも合意が成立した。同大統領は、さらに、米ソを核戦争の寸前にまで追い込んだ62年の「キューバ危機」後の冷戦状況を緩和するために、両国間での「戦略兵器削減条約」(START)締約のプロセスをも推進していった。大統領としての任務を終えたカーター氏は2002年、米国のキューバ制裁が実行されていたにもかかわらず、米国大統領経験者として初めて同国を訪問、フィデル・カストロ国家評議会議長と面会した。

同年、ノーベル財団は、カーター元大統領の「人権の促進と社会から疎外されている人々への配慮」を評価し、「彼の業績は、これから先、100年以上も記憶されていくことだろう」との理由により「ノーベル平和賞」を授与した。自由主義を標榜(ひょうぼう)し、道徳的価値観と人権の擁護を地政学の分野においても実行しようと試みた、カーター政権に対する評価の表れであった。

大統領在任時の1979年には、中国は一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の主張を認め、台湾と断交することによって、中国との関係を正常化した。中国の習近平国家主席は30日、カーター元大統領を中米国交樹立の「原動力」と呼び、哀悼の意を表した。

立正佼成会の庭野日敬開祖は78年、ニューヨークの国連本部で開催された第1回国連軍縮特別総会で、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)を代表して演説し、「時のカーター大統領とブレジネフ書記長両閣下に対し『危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである』との勧告」を投げかけた。翌年の79年には、米国のプリンストンで開催されたWCRPの第3回世界大会の機にWCRP代表団としてホワイトハウスを訪問、同大統領と会見した。「WCRP30年史」には、「カーター大統領は敬虔(けいけん)なクリスチャンである。この(WCRPの)会議に強い関心と期待を抱き『皆さんの尽力に心から感謝するとともに、神のお恵みをお祈りいたします』との言葉を寄せた」と記されている。また、カーター元大統領は、宗教界はじめ各界の識者が、庭野開祖の人柄や業績、出会いのエピソードなどを綴(つづ)った追悼集第1巻『異體同心』(佼成出版社刊)にも寄稿。庭野開祖を「平和への開拓者」と呼んだ。

米国のバイデン大統領とジル夫人は29日、ホワイトハウスから公表した「リードアウト」(声明文)の中で、「今日、米国と世界は、例外的なリーダー、国家指導者、人道主義者を失った」と惜しんだ。さらに「情熱と道徳的明確さによって、彼は病を根絶し、平和を涵養(かんよう)し、市民権と人権の促進に努めた。自由で公平なる選挙を推進するのみならず家の無い人々に住居を提供し、私たちの間にいる、より恵まれない人々を常に擁護した」と追憶。「ジミーとロザリン夫人が分かち合った愛は、パートナーシップの象徴であり、彼らの謙遜なるリーダーシップは、愛国主義の象徴でもあった」と讃えた。「意味と目的のある人生を求める米国の若者たち」にとって、カーター大統領が「原則、信仰、謙遜の象徴として映る」と呼びかけるバイデン夫妻は、1月9日に「この偉大なる米国人に対する栄誉」を表明するために「国葬」を執り行うと公表した。

米国の諸宗教界からも、同大統領を惜しむ声が相次いだ。多くのキリスト教指導者による哀悼の表明のほか、米イスラーム関係評議会(CAIR)のニハド・アワド師は、カーター大統領を「米国ムスリム共同体の友人、パレスチナ問題をも含む世界で正義の必要とされる諸問題に挑戦していったチャンピオン」と呼び、死去を悼んだ。同国のユダヤ教改革派連盟は、「(キャンプ・デービッド合意後)同連盟の幾つかのグループが、イスラエル・パレスチナ間紛争に関するカーター大統領の見解に異議を唱えた。その一方で、彼の仲介したキャンプ・デービッドの合意を祝い、“変革的な努力”と呼んだ」との追悼メッセージを明らかにした。

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