教皇のカトリック教会施政方針に大きな影響を与えた“解放の神学者”が逝去(海外通信・バチカン支局)

南米ペルーの首都リマで10月22日、第1回庭野平和賞を受賞したブラジルのヘルダー・ペソア・カマラ大司教(オリンダ・レシフェ大司教区)らと共に、「解放の神学」の祖師と呼ばれたグスタボ・グティエレス神父(ドミニコ会)が逝去した。96歳だった。

グティエレス神父は1971年、第二バチカン公会議(1962~65年)のカトリック教会刷新運動に揺れ動く南米大陸で『解放の神学』を刊行し、その神学潮流をラテン・アメリカ全域に広げていった。キリストによる救いと、歴史の中における人間の条件の改善との関係について問いを発する神学思想だった。

60年代の南米大陸諸国は、軍事独裁政権による抑圧で悪化した国家経済の再建と、現代化を試みる政策が施行された結果、広範囲にわたる武力闘争と民衆の貧困が蔓延(まんえん)した。グティエレス神父らは、厳しい社会的、経済的な不平等に苦しむ人々に対して、「貧者が抑圧され、抑圧は“解放”を求める」と主張。民衆の大多数を構成するカトリック信徒たちに、罪や利己主義だけでなく、社会で組織化された抑圧と生身の人間を、包括的な視点からどう救っていけばよいかを説き、その「救い」の根幹に「貧者の選択」(貧者との連帯を優先)を置いた。南米大陸の人々は組織化された不平等に苦しむ貧者であり、彼らが宗教的な視点からだけでなく、政治的、経済的、文化的にも解放されなければならないと訴えた。

だが、欧米中心の保守的な思考傾向が強かった当時のカトリック教会は、「世界の僻地(=へきち、中南米)」で展開される階級闘争とも解釈され得る解放の神学に無関心であると同時に、「マルクス主義に近く、貧困の分析が暴力革命への親近感を生み出す」と懐疑的に見守っていた。カマラ大司教も、「赤の大司教」と烙印(らくいん)を押され、教皇パウロ六世によって(解放の神学の根幹である貧者の選択を説いて回る)国内、国外渡航を禁じられていた。

80年代には、グティエレス神父もバチカン教理省やペルーのカトリック司教会議から監視され、彼の主張する解放の神学の各項目について説明を求められた。しかし、マルクス主義や暴力革命との関連性を否定しない神学者たちが弾劾された一方、グティエレス神父はバチカンから沈黙を守るように命ぜられなかった。