2国家解決策を目指す両国の和平提唱者が教皇と懇談(海外通信・バチカン支局)

イスラエル軍によるガザ、レバノンへの侵攻で、中東紛争の「2民族2国家解決策」は厳しい状況に置かれている。しかし、「イスラエルとパレスチナの停戦、ハマスに拉致されているイスラエル人の解放、2国家原則を基盤とする中東紛争の対話による解決」を信じて活動する政治指導者、平和運動家がいる。

イスラエルのネタニヤフ政権が10月17日、イスラーム組織ハマスの最高指導者であるヤヒヤ・シンワル氏を殺害したと公表した。同日、イスラエルのエフード・オルメルト元首相、パレスチナ自治政府のナセル・キドワ元外相は、人質の解放に向けてハマスと交渉した経験のある社会起業家のゲルション・バスキン氏、パレスチナ人平和運動家のサメール・シニジュラウィ氏(アラブ首長国連邦在住)とバチカンを訪問し、ローマ教皇フランシスコと懇談した。

4人は「1967年の国境線による2国家の共存原則」「2国によって分かち合われた首都としての聖都エルサレム、聖都への政治介入の禁止」「中東3大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通の聖都、ヨルダンの聖地管理権の尊重」「パレスチナ領・ヨルダン川西岸地区の、イスラエルに隣接する4.4%をユダヤ人入植者の居住区としてイスラエルに譲渡し、見返りに同等の自国領をパレスチナに譲り、ヨルダン川西岸とガザ地区を直結させる」などを主張している。オルメルト元首相が現職でないため、バチカンから内容を記した公式声明は出されなかったが、教皇との懇談もパレスチナ国家の樹立(バチカンはパレスチナ国家を承認)による2国家原則を基盤とする中東和平交渉の展開が中心だったと推測されている。

また、ガザ紛争後の統治主体として、「パレスチナ自治政府系のパレスチナ人専門家で構成される『委員評議会』が暫定政権を担当し、2、3年後の選挙を目指して準備する」という考えを明かしている。オルメルト元首相は、2009年までイスラエルの首相を務め、06年にはレバノン侵攻の停戦を成立させ、「オスロ合意」(1993年)を基盤とする最後の直接交渉をパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長と共に主導した。

だが、09年にネタニヤフ首相の率いる挙国一致内閣が成立。その後に同政権のユダヤ教極右政党を巻き込む右傾化が進むにつれ、中東紛争解決への舞台から「2国家原則」「イスラエル・パレスチナ間直接交渉」という用語が姿を消し、武力による解決を求める志向が強くなっていった。

オルメルト元首相は、ネタニヤフ首相と同じ政党「リクード」の出身だが、バチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」のインタビューで、同政権が、「極右狂信主義者であるイタマル・ベン・グヴィル国家安全保障大臣、スモトリッチ財務大臣の要求に服従している」と強く非難した。そして、「イスラエル国民の70%が、イスラエルに膨大な被害を及ぼし続ける連立政権に疲れている」「強き民主主義国家であるイスラエルは、この政権を民主的に克服していくだろう」と述べた。さらに、「この2年間、ネタニヤフ政権に抗議してきた市民社会が、新しい政治リーダーを輩出する」「イスラエルが確固とした民主主義国家であることを信じている」と期待を寄せた。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)