WCRP日本委「平和大学講座」 過ちを認め、償うことが和解への一歩に

平和大学講座では、キリスト教をはじめイスラーム、仏教、神道の視点で人間性や共感力について語られた

『諸宗教における人間性の教育を語る――他者の痛みへの共感を育むために』をテーマに、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会の平和大学講座が3月14日、京都市の浄土宗宗務庁を会場にオンラインを併用して行われた。各教団の信徒や賛助会員ら約80人が参加した。

同講座は、現代社会のさまざまな問題を取り上げて宗教と平和の関わりを学ぶとともに、宗教者の役割を模索することを目的に、毎年実施されている。今回は、世界各地で紛争や自然災害が生じている状況に対し、他者の痛みへの共感力の育成に焦点を当て、宗教的ヒューマニズムの持つ可能性や展望について意見が交わされた。

当日は、戸松義晴理事長(浄土宗心光院住職)の開会挨拶に続き、清泉女子大学元学長の岡野治子名誉教授が『《キリストの平和Pax Christi》非暴力の平和メッセージ――どのように日本社会に伝えられるか?』と題して基調発題を行った。

基調発題に立つ岡野氏

この中で岡野氏は、マタイによる福音書に触れながら、キリスト教の平和観を紹介。平和は神によって与えられるものではなく、一人ひとりが主体性、自立性を発揮しなければ実現できないものであり、その原点は弱い人に寄り添う非暴力の精神であると説いた。一方、4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になったことで、「正義の戦争」が認められているローマ法との齟齬(そご)が生じ、その乖離(かいり)を埋めるため、神学者アウグスティヌスによって正戦論が教義上で正当化されたと指摘。これにより、その後、キリスト教を基とするさまざまな戦争や紛争が行われたと語り、「戦いの勝者によって正義が決められるという原則が、今なお生きていることが現代社会の大きな問題」と述べた。

その上で、第二バチカン公会議を経て2000年に発出されたメッセージ『記憶と和解 教会と過去の種々の過失』や、ナチス・ドイツによる非人道的行為に対するドイツの反省と謝罪の取り組みを詳述した。和解とは過去の過ちを認め、反省し、その責任を担い続けることで、それによって赦(ゆる)しが得られると語り、「忘却」ではなく「記憶」が重要と強調。「記憶は新しい未来を開く力」と述べ、「全てを水に流す」という文化が根付く日本においても、平和問題の解決に向けて、「罪の意識を有し、心に悲しみを抱いていることを告白する勇気を持ち、過去に犯した過ちの責任を償うプロセスが和解への一連の儀礼」と語った。

パネルディスカッション後には質疑応答が行われた

この後、拓殖大学イスラーム研究所の森伸生所長(WCRP/RfP日本委平和研究所所員)、立正佼成会の和田惠久巳総務部長(同日本委特別会員)、國學院大學の藤本頼生教授(同日本委平和研究所所員)をパネリストにディスカッションが行われ、天理大学おやさと研究所の金子昭教授(同日本委平和研究所所員)がコーディネーターを務めた。

この中で森氏は、イスラーム聖典クルアーン(コーラン)やイスラーム法「シャリーア」を示し、共感力を養うためには、相手の言葉に耳を傾け、心や感情を深く理解しようと努めるとともに、相手との違いではなく、それぞれが持つ良さや共通点を探すことが大切と述べた。

和田氏は、『法華経』の「提婆達多品(だいばだったほん)」に触れ、当時の常識や価値観では仏になれないとされていた悪人や女人も成仏できることを記した説話を紹介。人は皆、仏性を有し、他者との出会いを通して自らの思考の癖や枠組みを知り、自己の発見と訂正を繰り返すことが人間性や共感力を育むことにつながると語った。

一方、藤本氏は、神道では全てのものに神が宿り、日常生活そのものが神と共にあるとの考えを説明。日々の行為が神の心にかなっているかを反省し、慎みの心をもって精進していくことが大事であり、平和な世界をつくり出すためには、奉仕や扶助、慈悲、睦(むつ)み合って和することが大切と述べた。