福島の今を伝える 震災体験の「語り人」活動――昨年の「一食福島復興・被災者支援事業」から

語る会代表の青木氏によるオンライン口演の様子。『崩壊と創世の狭間で』をテーマに、富岡町の現状や復興への願いを伝えた

東日本大震災から13年を迎えた福島県では、地震と津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故による複合災害が今なお、人々の生活に暗い影を落としている。

被災者への継続した支援を目的に、2014年から「一食(いちじき)福島復興・被災者支援」事業を展開する立正佼成会一食平和基金運営委員会(委員長=齊藤佳佑教務部長)では昨年も、震災の復興に取り組むNPO10団体に計700万円を拠出した。支援先の選定はNPO法人うつくしまNPOネットワーク(UNN)に委託し、管理費150万円を寄託した。

人と人のつながりを取り戻す

昨年の拠出先一覧。被災者自身がまちづくりや人づくりに取り組み、地域に元気と笑顔を取り戻す活動が重視された(クリックして拡大)

支援先の一つ、NPO法人富岡町3・11を語る会では、原発事故により一時は全町避難となった双葉郡富岡町を拠点に、町民たちが発災時の経験や避難生活の思い出、復興への願いなどを伝える活動を行っている。

代表を務めるのは、県立富岡高校元校長の青木淑子氏。退職後に移り住んだ郡山市内で震災に遭い、同市に避難してきた富岡町民たちの生活支援に力を注いだ。被災者を支え、共に生活再建への歩みを進める中、被災体験を聞きたいという国内外の人々の思いに触れ、13年4月から、同町社会福祉協議会の取り組みとして「震災の語り人(かたりべ)事業」を開始。その後に独立し、16年にNPO法人化した。

青木氏は語る。「原子力災害で失われた一番大きなものは、目に見えない人と人のつながりだと思います。私たちは今、壊されたコミュニティーを新たにつくる、『崩壊と創世の狭間(はざま)』にいるのです」。

震災発生の翌日、避難指示の発令により、富岡町民約1万6000人が一斉避難した。誰もが「2、3日で帰れる」と信じていたが、帰宅困難区域を除く避難指示の解除には6年を要した。避難先で生活を再建した人も多く、24年1月現在、町内の居住者は2307人にとどまる。移住支援金といった行政の復興事業などで移住者は増加傾向にあるが、まちづくりに対する人々の思いも多様化し、復興への課題は山積したままだ。

こうした震災の実情や被災体験、教訓を語り継ぎ、福島の将来を考えるため、語る会では、日本全国の自治体や学校、災害伝承施設などでの口演(オンライン含む)、富岡町内のツアーガイドといった活動を展開。海外からの依頼に応えて出張口演を行った実績もある。また、演劇キャンプや富岡演劇祭を開催するなど、人々の心に思いを届ける上で必要な表現力の育成にも力を注ぐ。

「表現することで思いが人に伝わり、人と人がつながっていく。その時、私たちが失ったものを初めて取り戻すことができる」。青木氏の一貫した信念だ。

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