年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

敬う心を発達させ、恥を知ることが 人間が進歩向上する一番大事なこと

この方針にある「先人」とは、東洋思想や政治哲学の権威として知られた安岡正篤(やすおかまさひろ)氏です。

人間は、数百万年もの長い時間をかけて心を発達させ、やがて知性や理解力を身につけ、それを言葉や文字に表すようになってきました。そうした人間と他の動物にはさまざまな相違がありますが、最も決定的なのは、人間が「敬」と「恥」の心を具(そな)えていることだといわれます。

敬の心とは、現実に留まらず、限りなく高いもの、尊いもの偉大なものを求め、それに近づこうとする心であります。

例えば、本会の信者であれば、仏さまを敬い、仰(あお)ぎ、頭(こうべ)を垂(た)れ、合掌礼拝(らいはい)します。そして、一人ひとりが、仏さまの教えの本質を把握(はあく)し、自覚し、それを実践できる人間になることを誓願(せいがん)し、修行を重ねます。自分の願いや希望が叶(かな)うことを願うのではなく、より高い境地に近づくことを願い、精進するのです。

もっと身近には、いつも明るく、優しく、温かい先輩の信者さんに憧(あこが)れ、「自分もあの人のようになりたい」と努力する人もいることでしょう。

歴史上の偉人(いじん)・賢人(けんじん)、習い事の師匠(ししょう)、スポーツ選手、文化人など、目標や手本とする人はさまざまです。

未完成な自分に飽(あ)き足らず、少しでも高い境地に近づこうという進歩向上の願いは、本来、誰もが具えている本能といえるものです。その本能が、人間の心を成長させてきた源泉(げんせん)なのであります。

そうした敬の心が発達してくると、おのずと至(いた)らない自分を省(かえり)みて、恥じる心が生じてまいります。

「恥じる」を辞書で引くと、「自分の行為の誤り、欠点、過(あやま)ち、至らなさなどを自覚し、恥ずかしく思うこと」とあります。自分の足りない部分は、自身ではなかなか気づけないものです。しかし、尊敬する人、秀(ひい)でた人に出会うことによって、自分が未熟であることを思い知らされます。そして恥じることで、自らを戒(いまし)め、律(りっ)して、一層の努力を始めるのです。

また「読書尚友(しょうゆう)」(書物を読んで昔の賢人を友とすること)との言葉のように、古典を読むことを通して賢人から学び、己(おのれ)を省みることもできます。

それゆえ人間が進歩向上する上で一番大切なことは、敬う心を発達させることであり、恥を知ることなのであります。

この敬と恥は、本来一対(いっつい)をなすものです。敬は宗教に通じ、恥は道徳に通じるのであります。ですから宗教と道徳は、決して別々のものではなく、もともと一体であることをしっかり踏まえることが大切であります。

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