人類が生き残るために「敵を愛すること」は可能か? WCRP日本委「平和大学講座」で塩尻筑波大名誉教授が基調発題
『戦争を超え、和解へ――諸宗教は訴え行動する』をテーマに、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会の平和大学講座が3月14日、オンラインで行われた。各教団の宗教者や賛助会員ら約100人が視聴した。
同講座は、昨年9月に行われた第1回東京平和円卓会議を受け、紛争・戦争当事者を含めて諸宗教が平和のために何を訴え、どう行動していくのかを考えるもの。当日は、竹村牧男同日本委平和研究所所長の開会挨拶に続き、塩尻和子筑波大学名誉教授が『人類が生き残るために「敵を愛すること」は可能か?』と題して基調発題を行った。
塩尻氏は冒頭、ロシアのウクライナ侵攻により核戦争のリスクが高まっている現状に触れ、持続可能で平和な世界を後世に残すためには、諸宗教の役割は小さくないと指摘。キリスト教の「隣人愛」や仏教の「空」、イスラームの「タクワー(篤信)」といった思想に言及しながら、世界宗教の各教義には「魂の救済」が掲げられていると述べ、「これらが協働することができるなら、宗教は持続可能な世界を維持していくための役割を果たすことができるかもしれない」と語った。
また、宗教における「暴力」の意味合いを考察した。宗教は本来、人間のさまざまな欲望からの解放を促し、平和の大切さや人の命の尊さを説く崇高な理想がある一方、歴史を振り返ると、イスラームの「ジハード」やキリスト教の「報復」といった教義を一部の不遜な信者が曲解し、暴力や戦争と結びつけてきたと説明。「宗教が有する社会性に内在する危険性を考えておく必要がある」と警鐘を鳴らした。
さらに、この世界に悼まれる死と悼まれない死が存在することで人間の命の価値に差異が生じ、宗教と暴力の連鎖を断ち切ることが困難になっていると指摘。地球市民として永続する平和な世界の構築を目指すためには、独善的な偏見に基づいた差異を解消することが必要と訴えた。
その上で、キリスト教の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という黄金律、イスラームのシャリーア(イスラーム法)、仏教の慈悲など、世界宗教が説く非暴力の精神に立ち返ることが重要と明示した。宗教と平和を考えるために必要なことは、宗教間・文明間の対話を実行し続けることであり、「国際政治や環境問題において諸宗教が互いに理解し合い、協働することが今ほど求められている時はない」と語った。
この後、神谷昌道アジア宗教者平和会議(ACRP)シニアアドバイザー、松井ケティ清泉女子大学教授(同日本委平和研究所所員)、田辺寿一郎早稲田大学留学センター講師をパネリストにディスカッションが行われ、竹村所長がコーディネーターを務めた。
この中で神谷氏は、平和をつくり出すための宗教者の役割は、宗教精神を背景とした法律に基づく国際秩序の守護者となり、人々の倫理性・道徳性・精神性を育むとともに、政治を善導することと解説。松井氏は、人間が持つ暴力性は生まれつきのものではなく、育った環境によって生じるものであり、宗教者として非暴力による対話によって紛争や戦争の解決に臨むとともに、平和教育が重要と強調した。
一方、田辺氏は、平和には、単に紛争や戦争のない「消極的平和」と、争いや紛争の原因である貧困や人権侵害、差別、飢餓といった構造的、文化的な暴力がない「積極的平和」があると解説。宗教は暴力の源になり得る一方、暴力を克服する原動力にもなると語り、今後の平和構築には、異文化間の交流と対話を通じた相互理解と互恵性が大切と述べた。