庭野会長 「朔日参り(布薩の日)」式典で法話 感謝に満ちた生活を
2月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が大聖堂(東京・杉並区)で開催され、庭野日鑛会長が法話を述べた。全国の会員が新型コロナウイルス感染防止対策を施して参加したほか、式典の模様がインターネットでライブ配信(会員限定)された。
式典では、國富敬二理事長を導師に読経供養が行われ、富士宮教会の女性会員(37)が体験説法に立った。
両親のけんかが絶えない家庭に生まれた女性会員は、父親が母親に振るう暴力におびえながら幼少期を過ごした。女性会員が高校生の時に両親は離婚したが、人の顔色をいつもうかがう癖が抜けず、自身も離婚を経験。その後、母親と二人暮らしを始めたが、衝突を繰り返してしまう母親との関係に悩んだ当時を述懐した。支部長である叔母から、「21日間の懺悔経読誦(さんげきょうどくじゅ)修行」を勧められ、毎日実践すると、どんな感情も怒りに変えてしまう自分に気づいた。毎晩、支部長に実践報告をする中で、母親に話を聞いて褒めてもらいたかった本当の心が見え、母親も同じように一人で子育てをしてきたことを認めてほしかったのではないかと思えた体験を振り返った。その上で、自らが善き縁となれるよう、思いやりの心を持った人間になることを誓願した。
続いて、法話に立った庭野会長は、小林正観氏の著書から「『幸せ』は、目の前に山ほどあり、私たちは『幸せ』という海に浸っているにもかかわらず、それを認識していないだけ。『幸せ』は、どこかに行けば手に入るものではありません」との一節を引用し、全てを受け入れて感謝する人は少なく、幸せも不幸せも、その人の受け取り方次第であると説示した。
また、人間の心と言葉の関係性に触れながら、「犬には言葉がないから、『痛い』という言葉がない。だから、ただキャンキャン鳴いているだけで痛くはないんです。痛いのは人間だけなんです」というくだりを紹介し、人間は生き物の中で自分たちだけが心を持っていると思い込んでいる一方、心があるからこそ、物事に執着し、自らを不幸にしていると強調。そうした執着から離れ、感謝に満ちた生活をすることが、幸せに生きる秘けつと語った。