東日本大震災から11年 各教会の取り組み
東日本大震災の発生から3月11日で11年を迎えた。被災地を包括する立正佼成会の各教会ではこれまで、犠牲者を追悼する慰霊供養が続けられてきた。釜石、石巻、仙台、原町、平、磐城教会などでは、今年も11日を中心に、教会道場や地域の慰霊碑、浜辺などで読経供養が行われた。会員たちは犠牲者の冥福を祈るとともに、早期の復興を祈願。被災地域以外の教会でも慰霊供養が厳修された。
釜石教会 あの日を決して忘れず――教会と地域道場で慰霊・復興祈願法要
釜石教会は10日、教会道場と5カ所の地域道場で、慰霊・復興祈願法要を厳修した。各道場では、読経供養が行われ、震災で犠牲となった会員ら946人の戒名が奉読された。
この後、主任(58)の体験説法と橋本惠市教会長のあいさつを収録した映像が、インターネットを通して各道場と会員に配信された。
この中で主任は、地震による津波で両親を亡くしたことを述懐。その後、家系を調べ、明治29(1896)年の明治三陸地震津波でも先祖が犠牲になっていたことが分かり、苦難を経て、先祖が命をつないでくれて今、自分の命があるのだと感謝できた体験を発表した。さらに、復興が進む中で震災の痛みは消えないものの、「素心(そしん)」と「和言(わげん)」を心がけ、会員と共に自らの心田を耕していきたいと誓願した。
橋本教会長は、震災発生後から今まで、全国各地の会員から教会に心を寄せた品が送られてきていることを紹介し、感謝の思いを伝えた。
また、震災後、教会では毎月11日に慰霊供養が続けられ、サンガ(教えの仲間)の支え合いの中で会員たちが少しずつ前に歩んできたことに触れ、「これからもあの日のことを決して忘れず、尊い命を亡くされた方々の慰霊を真心でさせて頂きます。そして、大震災の教訓を次の世代に伝承していきたい」と述べた。
平教会 一人ひとりがつながり、祈り込め 震災慰霊碑前で読経供養
平教会は10日、髙橋秀典教会長と教会役員が、大津波で被害を受けたいわき市の平豊間、平薄磯、久之浜、さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難指示区域に指定された楢葉町の天神岬スポーツ公園、広野町の震災記念公園にある慰霊碑を訪れ、慰霊・復興祈願供養を行った。それぞれ会員が集い、計50人が参加した。
各地の慰霊供養の様子は翌11日、会員にオンライン配信された。動画では、現地の復興の様子や、慰霊碑に刻まれた碑文なども紹介された。また、同日午前9時からウェブ会議システムを使って、教会と会員をつなぎ、読経供養を行った。
髙橋教会長は、「コロナ禍で行動が制限される中でも、『慰霊供養をさせて頂きたい』との願いで一人ひとりがつながり、震災で犠牲となられた方々に追悼の誠を捧げさせて頂きました。慰霊供養は、信仰を持つ私たちの大切な役割です。これからも真心でご供養を続けていきます」と語った。
松山教会 原発事故で避難した会員が体験説法 原町教会会員と共に慰霊供養
松山教会は11日、教会道場で「東日本大震災犠牲者慰霊並びに復興祈願供養式典」を行った。同教会には、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、原町教会の包括地域から避難した会員も所属している。式典の様子は、両教会の会員に向けてオンラインでライブ配信された。
式典では、読経供養が行われ、会員たちは震災の犠牲者に慰霊の誠を捧げ、復興を祈願した。続いて、学生部員(18)が体験説法に立った。
学生部員は、小学1年生の時に原発事故が発生し、家族と共に故郷の福島・富岡町を離れ、親類などを頼って岡山、愛媛両県で避難生活を送ったことを披歴。周囲の環境になじめず、人間関係に悩んだが、教会の仲間に話を聞いてもらうたび、「自分は一人ではない」と思えて、前向きな気持ちになれた体験を語った。
また、幼い頃に原町教会の温かいサンガの中で過ごした思い出を述懐。そうした経験を胸に、これからも教えを学び、人に温かく接することを心がけ、「支えてくれた全ての人に感謝し、恩返しできる私になります」と決意を語った。
あいさつに立った松本光代教会長は、式典の開催にあたり、各会員宅では、寒さの中で命を落とした震災犠牲者に思いを馳(は)せ、ご宝前に温かい料理が供えられたことを紹介。慰霊供養を通して、犠牲者の苦しみや、今も避難生活を送る人々の苦悩をわが事として受けとめて平和を祈り、身近な人と温かな触れ合いを重ねていくことが大切と述べた。